、彼が到着した時分にはすでに審問が始まっていたにちがいない。しかもこのことはトリビューン紙に出ているけれどもバーンスの記述の中にはクロムリンのことは一語も書かれていないのである。いずれにしてもクロムリンがゆっくり死体を見ることが出来なかったのは想像するに難くない。
 ところがポオは、クロムリンの鑑別に携《たずさわ》ったことを書いて後、死体の状態を記述して精細を極めている。「顔には黒血がにじんでいた。その血の中には、口から出た血も混っていた。ただの溺死者の場合に見られるような泡は見えず、細胞組織には変色はなかった。咽喉のまわりには擦過傷がついており、指の痕がのこっていた。両方の腕は胸の上に曲げられて剛直しており、右手はかたく握りしめ、左手は半ば開いていた。左の手頸《てくび》には、皮膚の擦りむけたあとが二すじ環状になって残っていた。それは、二本の縄でできたものか、或は一本の縄を二重に巻いて縛ったためにできたものかであることは明瞭だった。右の手頸の一部分もよほど皮膚が擦りむけており、それからひきつづいて右腕の背部一面に皮膚が擦りむけていたが、とりわけ、最もひどかったのは、肩胛骨《けんこうこつ》の部分だった。漁夫等は、この屍体を岸へ曳きあげるときに、屍体に縄をむすびつけたということであるが、どの擦れ傷もそのためにできたものではなかった。頸部の肉は膨れ上がっていた。切傷のあとや、打撲傷らしいものは一つも見られなかった。頸部のまわりをレース紐でかたく縛ってあるのが発見された。あまりかたく縛ってあるので、紐がすっかり肉の中に食い入っていて外からは見えなかった。その紐はちょうど左の耳の下のところで結んであった。これだけでも優に致命傷となったであろうと思われる。医師の死体検案書には死人の貞潔問題が自信をもって記してあり、死者は、野獣的な暴行を加えられたのであると述べてあった」
 この詳細な記述が医師の死体検案書に書かれてあったものでないことは決して想像するに難くはない。何となればポオが医師の検案書を取り寄せたとは考えられぬし、このような委しい記述が当時普通の新聞に発表されることはなかろうと思われるからである。即ち以上の記述及びそれに続く衣服の状態の記述は、(小説参照)全く彼の想像力の所産と見るべきである。
 ポオは小説を作るのが目的で、事実を紹介するのが目的でなかったから、それでよい
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