して解決しようとしたのである。そうして、バーンスは、更に次のように書いている。
「犯罪の行われた場所は九月二十五日即ち殺害の満二ヶ月後にロッス夫人の小さな子供たちによって発見された。即ち彼等が森へ遊びに行くと、奥の叢林の中に白の下袴《ペチーコート》と絹のスカーフとパラソルとM・Rというイニシアルのついた麻の手巾《ハンカチーフ》とを発見したのである。その附近の土地は踏み荒され、雑草の幹は折られ、はげしい格闘の跡が認められた。そうしてその叢林の中から、ちょうど死体を引摺ったような跡が一本河の方に向ってついていたが、やがて森の中で消えていた。そうして、それらの遺留品はすべて、メリーのものであると判別された」
このことは、トリビューン紙には一語も記されていない。なお又、メリーの婚約者であるペインが彼女の死に遭遇して悲歎のあまり自殺したということも載ってはいない。しかしポオはこれらのことを既に読者の知らるる如く物語の中に引用しているのである。そうして、バーンスのこの記述は、残念ながら、その出所が明かにされていないばかりか、何だかポオの物語が多少影響しているようにも思われる。しかしポオの物語が悉く信頼すべき事実に拠《よ》って書かれたものだとはバーンスも思わなかったであろう。して見ると真実であるかとも思われる。けれど、もとより絶対に信を措《お》く訳にはいかぬのである。
三、事件の真相
以上が、メリー・ロオジャース殺害事件に関する事実の主要なるものであって、これらの僅少な事実からして、事件の真相を判断することは到底不可能のことである。
ことに最も残念に思われることは、死体を検査した医師の言葉が、信頼すべきところに記されてないことである。審問の行われるときに医師が立合わぬ筈はないのに、そのことがトリビューン紙にも書いてなければ、バーンスの著書にも書いてない。ただポオのみが医師の屍体検案書のことを書いている。ところがポオはクロムリン(小説ではボオヴェー君)がウィーハウケン(小説ではルール関門)の附近を捜索している際に、ちょうど漁夫等が、河の中に一つの死体を発見してたった今網で岸へ曳き上げたところだという知らせを受け、駈けつけて死体の鑑別を行ったように書いているけれども、実際は前に記したように、クロムリンは、死体発見の報知を自宅で受けてからホボーケンへ行ったのであって
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