九月十四日附の記事として、左の文句が引用されてあるのである。
「ウィーハウケン(小説ではルール関門)附近の堤防に小さな酒店を開いているロッス夫人(小説ではドリュック夫人)は、市長の前で訊問された結果、メリーが七月二十五日の晩、数人の若い男と共に、彼女の店に来て、そのうちの一人の差出したリモネードを飲んだことを告げた。死体の着物はロッス夫人もメリーのものであることを認めた」
この記事を敷衍《ふえん》してバーンスはなお次のような記述を行っている。懸賞のことが広告されたあくる日、無名の手紙が検屍官の許に届いた。読んで見ると、筆者が日曜日にハドソン河畔を散歩していると、ニューヨーク側から一艘のボートがこちらの河岸へ漕《こが》れて来たが、それには六人の荒くれ男と一人の若い女が乗っていた。その女は他ならぬメリーであった。ボートはホボーケンにつき、一同は森の中へはいったが、彼女はにこにこしながらついて行った。丁度、一同の姿が見えなくなった頃、別のボートがニューヨーク側からやって来て、その中に居た三人の立派な服装をした男は、同じくホボーケンで上陸し、筆者に向って、今ここを六人の男と一人の娘が通らなかったかとたずねた。で、筆者が、通った旨を答えると、更に三人は娘が厭々《いやいや》引張られて行きはしなかったかとたずねた。そこで、喜んでついて行った様子だと答えると、三人はそうかと言って、再びボートに乗って引返して行ったというのである。
この手紙は新聞紙に発表されたということであるが、トリビューン紙には載っていない。バーンスによると、更にその後、アダムスという男が、メリーを問題の日曜日にホボーケンのある渡し場で見たことを申し出た。彼女はその時、丈《せい》の高い色の黒い男と連立っていて、二人はエリジアン・フィールドの休憩茶屋へ行ったというのである。このことを既記のロッス夫人にたずねると、その日、その通りの男が店へたずねて来て、一ぱい飲んでから森の方へ行ったのは事実であって、暫らく経ってから女の悲鳴のようなものが聞えて来たが、そのようなことはいつもあり勝ちのことであるから別に気にとめなかったというのであった。
以上の話の中の女が果してメリーであったかどうかはわからないから、このことが、事件の真相を形《かたちづく》っているものとは無論言われないのである。けれどもポオはこれを、有力なる論拠と
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