、所謂「自由恋愛」の理想が、大胆に且つ清高に描き尽されたるに在り。
所謂「戦争物」なる出版物の売行、近日大に減じ、出版者中、非常の窮境に陥る者ありといふ、吾人は戦争を金儲けの具に供するを悪めり、されど其失敗の甚しきを見ては聊か気の毒の感なくんばあらず、彼等も亦徒らに自由競争制度の犠牲となれる也。
平民新聞は初めより、俄かに大に売れざりき、故に俄かに大に減することなし、俄かに大に利することなかりき、故に俄かに大に損することなし、平民新聞は唯だ多数同志の確かなる信念と固き覚悟に依て援助され維持されつゝあり。
吾人は戦争熱の高低如何に関せず、世上の景気の如何に関せず、依然として主義の為めに尽し得ることを喜ぶ、刻一刻に吾人の運動の歩を進め得ることを喜ぶ。
三
両月程前に枯川の一家と、雑司ヶ谷に、雀焼食ひに行つた其汽車で、去六日巣鴨の獄へ志した、花は青葉と変りて、見渡す限りの麦畑の波を吹く風誠に心持が善かつた、池袋駅に着いて、アレかと眺める赤煉瓦は先づ無限の感慨を惹く。
仏国の革命党が壊したバスチールの牢獄は、こんなでは無かつたらうか、モントクリス伯の捕へられたデーフの要塞は、こんなでは無かつたらうか、数十町につゞく高塀の厳めしさ、四方に聳つ高櫓楼の恐ろしさ宛がら天魔の怒りて立てる如く、途行く人を睥睨して居る。
桃太郎の画本に在る鬼ヶ島の城門のやうな鉄扉を入りて、控室に来れば多くの婦人が待て居る、「私はやつと六年目に面会に来ました」といふ労働者の妻らしきが、貧にやつれて憐れなるがあれば、「宿が此処へ来るやうになつたのは、丁度此子が漸と立つ時分でした」と、十歳位ひの娘の頭を撫で居る商家の女房らしきがある、嗚呼世に十年二十年の間人間の自由を奪はねばならぬ程の罪悪とは、果してドンな罪悪であらうか、我等には殆ど想像が出来がたい。
若し今の軍隊と監獄とに使ふだけの費用が初めより教育と衛生と生産業に投し尽されて、其途を得たならば確かに今の刑法なるものは不必要となると、我等は信ずる。
刺を通じて二時間待つて枯川に面会した、頬に少しく瘠は見ゆるやうだが、夫れは初めの程、飯が何分マズくて十分食へなかつた故らしい、此節はモウ馴れて仕舞つて、健康に障りはない、仕事はない、短い間だから、読めるだけ読むつもり、書物は同時に二冊しか許されない、先月の平民社の会計は困つたらう、諸君に宜しく言つてくれとの話しで、相変らず元気であつた、二十五分ばかり、用談をして辞し帰つた、帰りの汽車は、何となく不愉快で、此夜は枯川の夢ばかり見た。
平民社の出版の方は、幸ひに着々歩を進めて来た、『百年後の新社会』は既に再版に着手して、『社会主義入門』も大部分は売れた、新に発行した『火の柱』も既に続々注文がある、商売としては元より言ふに足らぬのであるが、兎に角今の激烈なる戦争熱でも、決して日本の社会主義的思想を焼き尽し得ないことを証する者ではないか。
本月中に出版の手筈になつて居るのは、安部君の『瑞西』の外に石川生の『消費組合の話』である、消費組合が労働者の救済に於て、極めて有功で、殊に今日の如き不景気の時に於て極めて急要なることは、石川生が本号の論文に記せし如くである、我等は此書が、今日憂世の諸君子の為めに多大な参考となるを疑はぬのである。
去八日、戦捷祝賀の行列で、八百八衙、万歳の響、軍歌の声、怒濤狂瀾の押寄するが如き中で、平民社の楼上には静かに婦人講演と社会主義研究会とが開かれた。戸外の怒濤狂瀾は多くの人を殺してそして直ぐに消へ去つた、微なる平民社楼上の会合の結果は決して永遠に消ゆることなくして、却つて多くの人を活さんことを、我等は願ふ。
枯川の入獄に対して、匿名で金品を恵贈せられた諸君が多い、我等は深く其高情を感謝すると同時に、姓名を知ることを得ぬのは遺憾に堪へぬ、枯川の一家平民社同人に代りて茲で御礼を申上げる。
四
最近着の米国同志の諸新聞は、平民新聞第十九号の露国社会党に与ふる開書の英文を皆一斉に転載して、深き同情を表して居ます、殊に紐育の独逸文「労働新聞」の如きは、第十八号の日本文の方を其儘、写真版で印刷し、其下に独逸文の訳が添へてありました。
英仏独諸国の新聞の来るのは遅いので、未だ分りませんが、此次ぎに着く分には、必ず米国と同様に之を転載して、十分に日本社会党の意思と態度を表明してあることを疑ひません。
同胞を煽動して提灯行列を催すなどは、我等の到底為し得ない所ですが、世界に向つて、日本の真正なる社会真正なる思想を表白し、万国共通の平和幸福に貢献するのは、我等の任とすべき所だと思ひます。故に我等は微力なる平民新聞が、日本の紳士に冷笑せられつゝある間に、漸々世界に認められつゝあるのは尠からぬ愉快を感ずるのです。
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