雲新聞、政倫、立憲自由新聞、雑誌「経綸」「百零一」等は実に此種の金玉文字を惜し気もなく撒布した所であった。又著書に於ても飄逸奇突を極めて居るのは「三酔人経綸問答」の一篇である。此書や先生の人物思想、本領を併せ得て十二分に活躍せしめて居るのみならず、寸鉄人を殺すの警句、冷罵、骨を刺すの妙語、紙上に相踵ぎ、殆ど応接に遑まあらぬのである。

     三

 併し先生自身は、単に才気に任せて揮洒し去るのに満足しては居なかった。自分が作る所の日々の新聞論説は単に漫言放言であって決して、文章というべき者ではないと言い、予が「三酔人」の文字を歎美するに対しては、彼の書は一時の遊戯文字で甚だ稚気がある。詰らぬ物だ。と謙遜して居た。然り、先生は其気、其才、彼が如きに拘らず、文章に対しては寧ろ頗る忠実謹厳の人であった。
 先生は常に曰った。日本の文字は漢字である。日本の文章は漢文崩しである。漢字の用法を知らないで文字の書ける筈はない。飜訳などをするものが、勝手に粗末な熟語を拵えるのは読むに堪えぬ。是等は実に適当な訳語が無いではない。漢文の素養がないので知らないのだ云々。先生は実に仏蘭西学の大家たるのみで
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