なく、亦漢学の大家として諸子百家窺わざるはなかった。西洋から帰って仏学塾を開き子弟を教授して居た後までも、更に松岡甕谷先生の門に入って漢文を作ることを学んで怠らなかったのである。
故に其飜訳でも著作でも、一字一語皆出処があって、決して杜撰なものでは無かった。彼の「維氏美学[#底本では「維代美学」と誤植]」の如き、「理学沿革史」の如き飜訳でも、少しも直訳の臭味と硬澁の処とを存しない。文章流暢、意義明瞭で殆ど唐宋の古文を読むが如き思いがある。
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抑も芸術の物たる其由て居る所果して、安くに在る哉。蓋し吾人情性皆悩中一種の構造に繋る者にして其庶物の観に於けるや嗜む所あり嗜まざる所有り。而して庶物の形状声音是の如く其れ蕃庶なりと雖も之を要するに二種を出でず。即ち形態は人目を怡ましむる者にして其数万殊なるも竟には線条の相錯われると色釆の相雑われるとに外ならず。声音は人耳も怡ましむる者にして其の種は千差万別なるも竟に亦抑揚下緩急疾徐の相調和するに外ならず。
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是れ維氏美学[#底本では「維代美学」と誤植]の一節である。近時諸種の訳書に比較して見よ。如
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