蠅のごときものは、はしる馬の背にでもじっととまっている。この蠅の習性はかの蠅取器なるものに利用されている。すなわち静かに回転する木片のうえに蠅の好むものをぬっておくと、蠅はそれにとまる。かれは木片がじょじょに回転して、ついにでることのできない穴倉におとしいれられるまで気がつかないのだ。
しかし、人間がはたして外界に比較すべきもののない場合に等速運動に気がつかないかどうか――真の等速運動なら心配はないが、人為的等速運動において――おれはすこし心配だった。それで回転速度をきわめてすくなくした。人は秒針の運動はよく認識することができる。しかし、秒針の運動でもちょっとみた瞬間にはわからないもので、だから人は懐中時計が動いているかどうかを試すときに、眼によらないで耳によるのを普通としている。
分針の運動にいたってはほとんど認識できないといってよい。もっとも時計のおもてには区画があるから、二三分見つめていると、一つの区画に近づくのでやや運動をみとめることができる。区画がなければほとんどわからないであろう。もしそれ時針の運動にいたっては、ぜんぜん認識することができないであろう。そこでおれは回転速
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