ので、誰一人応ずる者はない。百姓女の叫び声は、徒《いたず》らにシーンとした朝の空気に反響《こだま》するばかりである。
「た、大へんだア、お、小浜《おばま》の旦那がオッ死《ち》んでるだア」
 百姓女が駈け出しながら、二度目にこう叫んだ時に、向うの垣根の端にひょっこり百姓男が現われた。
「お徳《とく》でねえか。ど、どうしただア」
「八《はち》さア」百姓女はホッとしたように息をついて、「お、小浜の旦那が死んでるだアよ」
「ハテね」
 八と呼ばれた百姓男はキョトンとして、
「小浜の旦那はもう大分前にオッ死んだでねえか」
「違うだよ」お徳はもどかしそうに手を振って、
「死んだ旦那の跡取《あととり》の人だアよ」
「ふむ、甥っ子だが、あんでもそんな人が跡さ継《つ》いだと聞いたっけが、跡取ってから一度もこの別荘さ来た事がねえだ。どんな人だか、誰知るものもねえだが」
「その人がね、昨日の朝見えたゞよ」
「不意にかよ」
「ウンニャ、前触れがあってね、掃除さしといて呉《く》れちゅうから俺《おら》、ちゃんとしといたゞ」
「一人で来たのかよ」
「ウン、顔の蒼白《あえ》え若え人でな。年の頃はやっと三十位だんべい。
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