はこう考えたのだった。
彼は庄司署長の出頭する日を一日千秋の思いで待ち受けたのだったが、それが彼の余命を縮める基になろうとは、夢にも知らなかったのだ。
かくて五月十四日に第一回公判が開かれたが、この時既に庄司、神戸両氏は証人として出廷していたが、支倉は冒頭に何を考えたか不貞腐《ふてくさ》れて終った。
裁判記録によると彼は裁判長の訊問に答えなかったのである。
「裁判長は被告人に対し氏名年齢職業住所本籍出生地を問いたるも被告人は黙して答えざるを以て重ねて問いたるも尚答弁せず」
こゝで裁判長の心証を悪くしてはと能勢弁護人は心配したので、一声高く呼んだ。
「裁判長、被告に一言述べる事をお許し下さい」
支倉が黙して答えないので、能勢氏は一大事と裁判長の許可を得て、彼に忠告を試みた。
「能勢弁護人は裁判長の許可を得て、被告人に裁判長の訊問に答え弁明する所あらば弁明を為す方が可ならんと忠告したるに、被告人は答弁せざるに非ざるも、本日の公判に間に合うべく書類を熟読し来たらざるにより延期を乞うべく出廷したるなり。されど記憶を喚起し成るべく答弁する旨申立たり」
之だけの手数を重ねて裁判長は漸く訊問を始める事が出来た。
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問 姓名は如何 答 支倉 喜平
年齢は 四十三年
職業は 聖書販売業
生地は 山形県置賜郡
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筆者は何故こんな分り切った事をこゝに書くか。読者諸君よ。彼の年齢の項を見て如何《いかん》の感がある。彼が抑※[#二の字点、1−2−22]《そも/\》神楽坂署に捕えられ、次で起訴せられ予審に有罪と決し、第一回の公判に立った時彼は三十六年と答えているではないか。今こゝに四十三と答えているのを見ると、人生の最も実のあるべき三十六より四十三までの長の年月を未決監に送った彼の境涯に対して一掬同情の涙なき能わぬ。もとよりこの足掛け八年、満七年余の牢獄生活は云わば彼が故意に延ばしたのであって、既に第一審に於て死刑に決定したのであるから、順当に行けば彼の生命は数年前に断たれた事であろう。だから彼は好んでその苦痛を延ばしたのであると云う議論もあるかも知れぬ。然しその長い間彼が一途に死刑より逃れよう、後には一度出獄がしたいと云う果敢ない望みから闇黒な牢獄の中に座して、あらゆる痛苦を征服し、世を呪い人を呪って生きつゞけた、忍苦と生存慾とを思うと、その執念の恐ろしさに戦慄を禁じ得ないと共に、一個の人間としての彼の悩みに転《うた》た同情を濺《そゝ》がざるを得ない。
さて、裁判長の訊問は次で聖書の窃盗から放火の事実に進み、一転して貞子の事件に這入った。
支倉は裁判長の訊問に連れて、例の如く、貞子には決して暴行を加えたのではなく、合意の上であって、彼女が病院に通う途中に待受け連れ出したる事実はないと断言した。裁判長は更に追究すると、支倉は、
「高輪警察署で書類を隠されて居ますし、神戸に書き送った手紙も出して呉れませんから、分りません」
と嘯《うそぶ》きながら答えた。
「では」
裁判長はキッとなって云った。
「その書類がないので弁明出来ないと云うのか」
裁判長のこの弁明出来ないのかと云う問は支倉に余程応えたと見え、彼は忽ち叫んだ。
「そうではありません。弁明が出来ないと云う訳ではありません。では申上げます」
公判の劈頭に書類を能く読んでいないからと拗《す》ねて答弁を渋った支倉は、こゝに於て恰《あたか》も堤の切れた洪水の如く、滔々数千言、記憶が薄らいだどころか、微に入り細を穿《うが》ち、満廷唖然とする一大雄弁を以て語り出した。
「之につきましては最初から申上げねばなりません。どうぞ御聴取を願います」
こう前置して彼は当時の事情を手に取るように委しく述べ立てた。殊に彼と小林兄弟、神戸牧師の三角関係は最も詳細に述べた。
「神戸はどうしても謝罪状を書けと原稿のようなものを出しましたが、私は拒絶いたしまして、それとなく君と僕と定次郎と共に貞の所へ行って、強姦か和姦か聞けば分る事だから、聞きに行こうと、云いましたが、神戸はそれに応じて呉れなかったのであります。私はこの為に随分迷惑いたしました。定次郎は私の不在中酔払って、外から大声を揚げてやって来まして、此家の主人は俺の娘を姦して淋病を感染さして、病院の入院料さえ払わないと大声で怒鳴った事さえあるのです。私は入院料を払わなかった事はありません。生憎定次郎に会った時には領収証をなくしていたのです。それも病院へ行って聞けば分る事です」
支倉は一度喋り出すと文字通り懸河の弁で、滔々数十分、言葉巧に当時の状況を説き来り説き去り、最後に、
「左様な事実で、貞を強姦したる事もなく、又殺害したる事実もないのであります」
とつけ加えて、漸く長広舌を終った。
裁判長は引続き証人の訊問に移ろうとしたが、この時被告人及び弁護人より、今日はこの程度で打切り、続行せられたき旨申請し、検事も同意したので、裁判長は合意の上之を許可し、次回を来る六月十三日午前九時と定めた。各証人はこの日は全く無駄足をしたのだった。
六月十三日の公判! これこそ支倉にとって最後の公判となった事は後にぞ思い知られたのだった。
次回の公判には庄司署長が初めて証人として出廷訊問を受ける事になっている。この訊問こそ支倉の万策尽きた今日、残された唯一の頼みの綱で、冤枉八年の叫び空しきか、将又《はたまた》空しからざるか正々この一挙で決するのだ。彼は獄窓裡に或いは喜び、或いは憂え、よもすがら秘策を胸中に練った事であろう。
彼は当日庄司署長と共に出頭すべき神戸牧師に対して、五月二十八日と六月十一日の二回に亘り、例の恐喝の手紙を送った。
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「来る十三日には刑訴第三百五十三条に基き始めからシッカリした訊問をやって貰おうと思っています。
「私は真理の分るまで忌避に弁護解除を続け、断然裁判宣告を受けません。ソウなるとアナタも又呼出される迷惑な話、どうか嘘を云わんで下さい。
「アナタはサダの事や庄司に渡した手紙の事なり、自分の事について木藤氏に打解けた話をしとる事は皆手紙で私の方に木藤氏から書送って来て、一つの証拠となるべきものがあります。何とぞ木藤氏が永眠したのを幸いに庄司から頼まれ偽証するような事はせないで下さい」
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六月十一日附の手紙には半紙にペン書きで細々と書いた脅迫状の外に、一枚半紙に毛筆で認めたものがついていた。
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「真近に梅雨がやって来ます。
みな様丈夫にて御過ごしのよし、なにより結構であります。アナタは御健康で結構でありまするが、私は身体が日増しに悪くなるのです。此分では近い中に病死するかも知れません」
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人と云うものは死期が近づくと、知らず識らず気が滅入るものだろうか。流石の支倉も云う事がどこともなく哀れっぽい。以上に認めた脅迫文句もいつも程凄味がないように思える。
さていよ/\公判の日が来た。大正十三年六月十三日、梅雨空の陰鬱な日だった。
裁判長以下各判事検事等は一段高い所に厳めしく居流れ、弁護席はと見れば能勢氏只一人黙然として控えていた。
被告支倉喜平は別に身体の拘束は受けなかったが、物々しや警部一名、巡査四名、都合五名の警官に取巻かれて所定の席に着いていた。彼は法廷で怒号咆哮する許りでなく、時に証人等に打ってかゝる事があるので、かくは厳重に警戒せられたのである。
裁判長は咳一咳、之より審理を更新すると告げ、例によって被告の氏名年齢等を順次に問い質し、次で証拠調べに移った。
記録には次の如く書かれている。
「裁判長は証拠調べに移る旨を告げ、当院第一回公判調書に記載したると同一の各証拠書類及同公判調書記載を読みあげ、押収物件並に検証調書添附図面及記録等を示し、其都度意見弁明を求めたるに、被告はすべて当院第一回公判調書記載と同一の答弁をなせり。
裁判長は決定に基き証人を訊問すと告げ、召喚に応じ出頭したる庄司利喜太郎を入廷せしめたり」
六尺豊か鬼とも組まんずと云う庄司氏は威風満廷を圧しながら堂々と入廷した。彼は正に意気軒昂、邪は遂に正に勝たずとの信念何人も動かすべからず、気既にさしもの兇悪なる支倉を呑んでいるようであった。
彼は支倉と正に咫尺《しせき》の間に着席を命ぜられた。
「僕だからまあ好かったけれども」
庄司氏は後に人に語った。
「兎に角警官が五人もついていようと云う兇暴な奴のすぐ傍に着席させるちゅうのは、少し不都合だね、人に依っては、思う所を十分云えないかも知れんじゃないか。現に刑事には飛掛っているんだからね」
支倉は庄司氏の顔を見ると異様な眼でジロッと一睨みしたが、つと横を向いて終った。
庄司氏は裁判長の訊問の儘に臆する所なく、ズバ/\と信ずる所を披瀝した。
支倉を検挙するに至った径路、死体其の他動かすべからざる証拠についての弁明、支倉の自白等について、証人は澱みなく答えた。殊に自白の場面のいかに荘重なりしか、彼と神戸牧師及彼の妻との間に交された会話等につき詳細に述べた。
庄司氏が裁判長の訊問に答えているうちに、支倉はジリ/\と彼の方に詰め寄って、殆ど身体を接する位になった。警戒の巡査は支倉が乱暴を働く様子がないと見たか、別に止めようともせず、只遠巻きに眼を光らしていた。庄司氏はすぐ隣に接して支倉の息遣いを聞きながら、落着き払って裁判長に答弁をしていた。
「庄司さん、どうぞ本当の事を云って下さい」
突如として支倉は脅迫の手紙の上に於ける傲岸兇悪の態度に似もやらず、いと細き声を出して哀訴した。彼は遂に庄司氏に正面より敵すべからざる事を知ったのであろうか。それとも思い邪《よこ》しまなるものは遂に正しきものに面を向ける事が出来ないのであろうか。
裁判長は終始厳正の態度を持しつゝ、不動産を売却する事につき尽力したる事ありや、四十通余の文書を隠したる事実ありや、被告に自白を強いるため骸骨を接吻せしめたる事実ありやと畳かけて質問した。
庄司氏は断乎としてそのいずれをも否定した。書類云々の事は全く虚構の事実で、支倉が放火事件につき高輪署の刑事に贈賄して有利な調書を作製せしめたのだったが、数多き書類の中のそれだけが偶然紛失したので、支倉は恰も自分に有利な書類を尽く隠したように曲言したのであって、該書類は被告の考える如き重要なものでなく、のみならず其他の書類は全部提出してある旨を答えた。
庄司氏の答弁の間支倉は絶えず哀願するような態度で、
「庄司さん、どうか本当の事を云って下さい」
と低声で云い続けていた。
裁判長の訊問が一通り済むと、能勢弁護人は裁判長の許可を得てきっと証人を睨み据えながら、鋭い訊問を投げかけた。
「喜平に対して最初嫌疑をかけたのは窃盗と詐欺と云う事であるが、詐欺とはどう云う事実か」
「窃盗につき調べているうちに詐欺の事実が現われたのである」
「支倉は誰か告訴したものがあったか」
「いや、聞き込みであった」
「二月十九日より三月十八日頃まで一ヵ月に亘っているが、此間被告をどう云う理由で留置したか」
「浮浪罪であったか、虚偽の陳述によったか、警察犯処罰令によったと思う」
「いや、それは処罰する目的でなく被告に対して殺人と云うて留置したのではないか」
「それについては確な記憶はない。仮りに云われる通りであったとしても、答弁の必要を認めない」
以上が能勢氏の追究に対する庄司氏の答弁の最初の一節であるが、見らるゝ通り殺気立ったものだった。能勢氏の辛辣なる質問に対し庄司氏は明快簡単に之を報いたのだった。
両氏応答数次、長時間に亘って漸く終ると、裁判長は証人神戸牧師出廷せざるにより、公判を続行し、次回を来たる六月三十日と定めて閉廷を宣した。
絶望
公判廷を出て東京刑務所に護送される途すがら、自動車の中で支倉は顔面蒼白、或いは痛恨し、或いは憤懣し、意気頗る上らなかっ
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