た。彼が最後に一縷の望みをかけていた庄司署長は、彼の脅迫、彼の嘆願に何等顧慮する所なく、正面より堂々の論陣を張り、攻撃的答弁を以て、一々支倉の妄を難じ、嘘言を責め、彼をして殆ど完膚なきに到らしめた。
支倉が金科玉条と信じ、金城鉄壁と頼み、繰返し強訴した所の書類隠匿事件は、誠に区々たる事実であった。拷問、或いは利益を提供して自白を強られたと云う事も断乎として否認せられると、最早争う余地のない微々たる問題となった。庄司氏の雄弁ならざるも、確乎たる信念の下に押付けるような力強い言葉は、犇々《ひし/\》と支倉の胸に応えた。殊に彼の自白の場面を詳細に述べられると、支倉自身さえも到底否定する事の出来ないような厳粛な気に打たれるのだった。
監房に帰ってからも支倉は黙々としていた。彼は次第に絶望に沈淪して行った。
けれども、支倉は流石に今や尽きんとする精力を奮い起して、うんと一つ踏み止《とゞ》まった。
裁判長がいけないのだ! 裁判長があんな生温《なまぬる》い訊問の仕方をするから何にもならないのだ。もっとグン/\突込んで、恰度警察で被告を調べるように、少しでも前後矛盾する所があれば、声を嗄《か》らし腕を振り上げてゞも問い質して呉れなくてはならない。断じてそんな事はありません。ふむ、そうかと云う調子で、何で庄司が自分に利益の陳述をするものか。恨めしいのは裁判長である。
支倉の我事ならざる恨みは裁判長に集中して終った。こゝに彼は筆を取って最後の恨みの言葉を裁判長に送った。然し、彼とても之が効果があるとは思わなかった。いや、彼は最早常識で律する事は出来ぬ。彼は半ば夢中で、只感情の逸《はや》るまゝに書いて/\書き抜いたのである。宛然《さながら》老婆の繰言であるが、燈火の消えんとして一時明りの強くなる類で、彼の未決八年冤枉を叫び通した精力が、今や正に尽きんとする時に当って、一時パッと力づいたのであろう。
支倉は公判直後より筆を起して正に三日を費やして、六月十七日に裁判官忌避を申請したのである。
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「私は因藤裁判長殿を忌避いたします」
忌避の理由
一、只今自分の事件とせられとる事は因藤裁判長が庄司利喜太郎に対し秩序を立てゝ、しかとした御訊問さえ下さりゃ、すべてが明瞭になるのであります。
一、私はそれをして頂きたい事から前以て上願書及庄司利喜太郎に対し斯う云う事を訊問して頂きたいと云う、其の事項を書いて、チャンと裁判所に出してあるのです。それから又弁護士の方にも同一様の庄司利喜太郎に対する訊問事項を書いて、公判期日に間に合うようにチャンと前以って宅下げの手続きしてあるのであります。夫れを因藤裁判長殿の手許に押えて置いて能勢弁護士の手に渡るようにして呉れないのであります。ですから能勢弁護士さんも支倉が庄司に対する何う云う事を求めとると云う事は分らないのであります。(中略)其の証拠品と云う物は私から皆大正十一年中裁判所に提出してあるものであります。其の証拠品は裁判所に一つもないと云って、私の求めるかなめ肝腎の証拠物を出して呉れないのであります。(証拠物略)
因藤裁判長殿は神楽坂から支倉喜平事件証拠金品目録として送って来てある所の其の書信を庄司に一々示した上、此の書信の前後のものをどこへやったのか。又この家屋譲与に関する書類は何うしたのかと、其の証拠を庄司に突きつけた上、因藤裁判長殿はこの家屋譲与書類(只今裁判所に在り)は証人は喜平に犯さぬものを一時証人はアトで書類を出す日まで、犯したとさせる約定条件から喜平の実印や其他金品と一緒に授与しとるではないか」
[#ここで字下げ終わり]
支倉の裁判長忌避の理由なるものは尚縷々として尽きないのである。
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「証人(庄司)は大正六年三月十九日に神楽坂署長室でウイリヤムソン宣教師と、それから当時来合せた神戸とを立会保証、家屋譲与尽力者に立て、支倉のカナイに授受しとる金晶及書類を小林弁護士は皆よう知っとると云う事だが、其品々は何々で又其品々を証人は誰某から取上げて裁判所に分らんように謀って授受してあるのか、又証人は喜平が事実罪を犯して自白しとるものとしたら、証人は喜平に検事廷と予審廷に行ったら、こう云う事を申立てゝ呉れ、そうせなけりゃ、支倉の妻子の着とる衣物まで皆剥いで聖書会社にやって終う。きみはわし(庄司)に頼まれとる通りに検事廷で言って呉れるか呉れないかを監視させる為に、証人手許の三人の刑事(氏名略)を大正六年三月二十日検事廷と予審廷に付き添えての上、支倉喜平調書と云うものを小塚検事と古我予審判事とに作成させると云う事ではないか。
喜平は証人に依頼されとる通り申立てないと、付添うている三人の刑事の中の誰ぞ一人から、神楽坂署に電話で知らせがあって、喜平の宅に臨んで当時喜平の妻子に授与しとる金品及証書は勿論の事、喜平の妻子の着とる衣物までも剥取ると、証人は喜平に強要の上依頼しとるとの事ではないか。
又この頭蓋骨は品川の菓子屋の娘の頭蓋骨であると云う事を証人が喜平に打明かしての上、当時証人はこの頭蓋骨を支倉の自宅に一時預けてあるとの事ではないか? 一時預けた理由は如何? と頭蓋骨を庄司に因藤裁判長殿はつきつけた上、一々庄司から答弁を聞くようにして、事件の真相を明かにして呉れないのであります。
因藤裁判長は折角庄司を呼んでも庄司の偽証ばかりを言うがまゝに委せ、何等証拠書類を突きつけ訊問を重ね、事件の真相が分るようにして呉れないのであります。事件の真相をこゝに明かにして頂けん事には、この喜平はこのまゝこゝで絶食死すとも、どなたの裁判にあれ、断然受けません。
因藤裁判長を忌避した理由は以上のようからです。(中略)
私は返す/″\、庄司利喜太郎から事件の真相を求めて答弁させて、こゝに明かにして頂けん事に於ては私はこのまゝこゝで絶食死すとも断然裁判は受けないのである」
[#ここで字下げ終わり]
支倉は六月十三日の公判に於て、証人庄司氏の答弁が予期に反して、毫も自己に利益の点がないので、獄中悶々やる方なく、前述の如く裁判長を忌避したが、彼も元より成算があっての事でなく、むしろ自暴自棄的の手段であった。最後の土壇場に来ても尚、跳起きて隙もあらば反噬《はんぜい》しようとする彼の執念には只々舌を巻くの他はない。
あゝ、在獄七年余、朝に夕に呪い続けて、いかなる手段を尽しても死刑を逃れ、一度浮世に出でんと努力し続けた忍苦執拗、支倉の如き人間が又と世にあろうか。
因藤裁判長は支倉の忌避の申請を受取ると、直ちに会議を開き合議の上左の決定書を与えた。
[#ここから2字下げ]
決定
被告人 支倉 喜平
右の者に対する窃盗放火詐欺強姦致傷及殺人被告事件につき、右被告人より裁判長判事因藤実に対し、偏頗《へんぱ》の裁判を為す虞れありとして、忌避の申立を為したるも、右申立は訴訟の遅延せしむる目的のみを以て、為したる事明白なるを以て、刑事訴訟法第二十九条第一項に依り、決定する事左の如し。
主文
本件忌避の申立は之を却下す。
大正十三年六月二十日
[#ここで字下げ終わり]
[#地から4字上げ]裁判長以下署名捺印
決定書は直に市ヶ谷刑務所在監支倉喜平の許に送達された。支倉はこの送達書を受取って、如何なる行動に出るであろうか。
大団円
支倉が最後の手段として試みた忌避の申立は見事に却下されて、即日その決定書が送達されたが、支倉は果してどう云う態度に出たであろうか。
意外! 送達は左の如き符箋つきで戻って来た。
「受送達者支倉喜平を市ヶ谷刑務所につき取調べたるに別紙符箋之通り死亡せし旨田辺看守長より申出につき送達不能、依って一|先《まず》及返還候|也《なり》」
続いて市ヶ谷刑務所より控訴院検事長に宛て左の公文が到達した。
[#ここから2字下げ]
刑事被告人自殺の件通報
窃盗放火詐欺
強姦致傷及殺人
支倉 喜平
明治十五年三月生
大正六年三月二十日拘留
大正七年七月九日東京地方裁判所第一審判決
右者頭書被告事件に付、控訴中の処、本日午前八時より同時十分迄の間に於て、巡警看守の隙を窺《うかゞ》い、居室南側裏窓の硝子戸|框《かまち》(高さ床上より約一丈)に麻縄約一尺(作業用紙袋材料を括りたるものを予《かね》て貯え、居室内に包蔵しいたるものゝ如し)許りを輪形に結びたるものを懸け、更に自己の手拭と官給の手拭とを縄状として、それを結合聯結し置き、空気抜け孔を踏台として用意の手拭を頸部に纏い垂下し、自己の体重に依り窒息自殺を遂げたるものに候条、別紙死体検案書添附此段及通報候
[#ここで字下げ終わり]
支倉は六月十九日、即ち忌避却下の送達書の来る前一日監房内で縊《くび》れて死んだのであった。彼が何故忌避の結果の判明するのを待たずして自殺したか。それは永久に残る疑問であるけれども、思うに彼は六月十三日の公判の結果について既に死を決していたのではあるまいか。判官忌避の如きはその成否眼中にない程彼は庄司氏の証言に絶望を痛感したのではあるまいか。聞く所によると彼は遺書風のものを認め、それには子々孫々まで庄司氏に崇らずして止むべきかと云う物凄い言葉が聯ねてあったと云う。司法警察官たる正当の職務により、正当なる手段を以て兇行後四年既に土芥に帰せんとしていた殺人事件を発《あば》き、貢献多かった庄司利喜太郎氏は終始一貫支倉の呪いの的となり、支倉の行きがけの駄賃として、あらゆる呪いの声を庄司氏一人で引受けて終ったのだった。
さわれ、支倉が遂に第二審の判決を受けずして自殺した事は後世に幾多の疑問を残した。筆者はこの点につき、本件に最も関係の深い神戸牧師の言葉を引用して置く。
[#ここから2字下げ]
「六月十九日の夕刊を見て自分は驚いた。支倉喜平は到頭縊死を遂げたと云う記事が出ているではないか。然も二号活字で如何にも大きい標題《みだし》附であった。蓋しそれほど彼の死は社会の好奇心を誘う事件であったからであろう。(中略)
彼をしてそれほど兇暴な態度に出でしめ、而も其最後迄事実を否認してあらゆる彼の敵に反抗せしめた原因は抑※[#二の字点、1−2−22]いずこにあったか。乃至、彼は其生来獰悪人であったが、事件の内容たりし殺人の真相はいかゞであったか。これらについて其半面の真相を知る者として、証人の一人であった自分亦これを言う権利と義務があろう。従来彼を狂人と云い、猛獣同様に取扱った官憲の非は勿論、同時に彼を曲庇弁護して、完く無罪、冤罪だと言いふれた者の非をも撃たねばなるまい」
[#ここで字下げ終わり]
筆者は茲に支倉の死と共に筆を擱《お》くに際し、かくの如き至難比類なき疑獄事件に、終始一貫、不屈不撓の精神を以てよく犯罪を剔抉《てっけつ》し得たる庄司署長、快刀乱麻を断つ如く判決し了った宮木裁判長の英断、正道を踏んで恐れざる神戸牧師の勇を称《たゝ》え、尚被告の為めに献身的努力を惜まざりし能勢氏の労を多とすると共に、支倉が苦闘八年遂に第二審の判決に至らしめず、疑いを千古に残して自ら縊《くび》れ、死後尚庄司署長以下の名声を傷つくる挙に出でたる彼の妄執を憐れみ、且つ恐れるものである。
[#地付き](〈読売新聞〉昭和二年発表)
底本:「日本探偵小説全集1 黒岩涙香 小酒井不木 甲賀三郎集」創元推理文庫、東京創元社
1984(昭和59)年12月21日初版
1996(平成8)年8月2日8版
初出:「読売新聞」
1927(昭和2)年1月15日〜6月26日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫、土屋隆
校正:松永正敏
2007年7月15日作成
2009年7月31日修正
青空文庫作成ファイル:
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