をやっている、其処へ伴れて行って芸者を皆引っ張り出してウムと御馳走した上、わしア、オショクを抱きたいんだが、君ア犯さないのを一時犯したとして一時わし共を助けて呉れる事なんだから、そこで君にその御礼として、オショクを譲り、わしア第二の別嬪として、佐藤(警部補)にゃ第三の別嬪を云々、私ア南楼、橘平楼に係る詳細を庄司利喜太郎から聞かされ相約束しとります。其関係上前便封書にて、該家に係る戸籍謄本申請至急御下附を願う。先ずは取急ぎ葉書にて欠礼右御願い迄、以上――」
[#ここで字下げ終わり]
何と馬鹿げた手紙ではないか。無論支倉の目的は戸籍謄本を取るのにあって、少しでも庄司氏に引っかゝりがあれば例の凄い脅迫状を送って、嫌がらせを試みようと云うのだ。
金沢市長も無論こんな手紙は取合わなかったゞろうけれども、戸籍謄本の方は誰からでも手数料を添えて請求せられゝば与えない訳には行かない。支倉はこんな手段でそれからそれへと手紙を送ったものと見える。それにしても保釈願はどう云う意味でこんな葉書の写しを添えたのか、支倉の考えが少しも分らぬ。
かくて大正十二年も終って、愈※[#二の字点、1−2−22]支倉の云う冤枉未決八年の時となった。こゝに一寸書き添えて置かねばならぬのは、十二年には彼に取って心からの同情者だった救世軍の木藤大尉が歿した事で、之は彼にとっては一大打撃だった。
大正十三年の劈頭一月七日、先年押詰って出した保釈願に対する却下書が配布された。そして二月には保釈|所《どころ》か、
「右の者(支倉を指す)に対する拘留は之を継続するの必要ありと認むるを以て、大正十三年三月一日より其期間を更新す」
と云う決定が下された。支倉は正に奈落の底に突落されたのである。
彼は最早保釈の望みはなくなった。然し未だ彼は判決を覆すべき一縷の望みを捨てなかった。
彼は何を考え出したか、閲覧願と云うものを差出した。之にも前掲の金沢市長宛葉書の写しを附し、彼一流の遣方で三月二十四日から二十七日の僅々四日間に連続四回同文の閲覧願を出した。と同時に有名な大正の佐倉宗五郎事件が起った。
大正の佐倉宗五郎
「オイ、支倉の所へ変に嵩《かさ》ばった小包が来たぜ」
「ちょっ、困るなあ、奴又何か手数をかけるんじゃないか」
刑務所の係員が二人、小包を中に置いて眉をひそめた。冤枉《えんおう》八年と大呼して監獄の名が刑務所と改まっても依然として未決監に蟠踞《ばんきょ》して、怒号し続けている支倉は、看守達に取っては好い客ではなかった。
「兎に角開けて見よう」
「宜かろう」
包みを解いて見ると、中から出たのは一|襲《かさね》の衣類、羽二重の白無垢である。
「うん、之は変ったものだな」
「奴、発心でもしたかな」
対手が死刑囚だけに白無垢と来ると余り好い気持がしない。二人の看守は薄気味悪そうに顔を見合せた。
「オヤ/\、何か字が書いてあるぜ」
「成程、之は確に字だ」
羽二重の白無垢を拡げて見ると、襟の所に黒々と、「東京未決監未決八年、冤枉者支倉喜平」左右に割って二行に染めつけてある。
「例の文字だ」
「いかにも、執拗な奴だ」
二人は暫く襟の所を眺めていたが、やがて一人が裏を返すと驚いた。
「オイ/\背中にも文字があるぞ」
「こいつは大変な事が書いてある」
背中には大きな字で「大正の佐倉宗五郎」と染め抜いてあった。
「之は一体どう云う意味だ」
「さあ、さっぱり分らないね。第一この着物をどうしようと云うのだろう」
二人は評定をしたが、もとより分る筈がない。仕方がないので上役の所へ持って行くと、兎に角支倉に聞いて見ろと云う事になった。
「オイ、お前の所へこんなものが来たぞ」
看守の一人は云いつけられた通り、件《くだん》の白無垢を持って支倉の未決監の前に立った。
「あっ、来ましたか、有難い」
支倉は一目見ると、ニッと薄気味の悪い笑みを洩らした。
「之はどうするのだね」
「公判の時に着て出るのです」
「なに、公判の時に」
看守は驚いて終った。
「して、この佐倉宗五郎と云うのはどう云う事なんだね」
「分りませんか」
「分らないね」
「そんな筈はないでしょう」
支倉は不機嫌になった。
「つまり私の身の上の事ですよ」
「お前の身の上!」
悟りの悪い看守は狐に魅《つま》まれたよう。
「そうです」
支倉は恐い顔をして黙り込んで終った。
支倉が自ら名乗って大正の佐倉宗五郎と云うのは、犠牲になったと云う意味か、それとも妻子を枷に拷問されたと云うのか、何しても自分の姓の支倉と似通った所から思いついたのであろう。つまりこんな事から周囲の人から同情を惹《ひ》こうと試みた事なのであろう。或は彼の一種の宣伝癖から起ったのかも知れない。
佐倉宗五郎の意味はよく分らないが、支倉が不機嫌に黙り込んで終ったので、看守は少し機嫌を直す積りで、
「之は態※[#二の字点、1−2−22]《わざ/\》注文したのかい」
「そうです。郷里の方へ注文してやったのです」
「いつ着るんだね」
「この次の公判の時からです」
支倉は之からずっとこの白無垢で通す積りと見える。看守は逐一上役に報告した。
「何、公判の時に着るんだって」
上役は馬鹿々々しいと云う風に、
「そんな事をされては困る。そいつはいけないと云って呉れ給え」
看守は又支倉の所へやって来た。
「オイ、この着物は渡せないそうだ」
「何っ!」
支倉は忽ち声を張り上げて真赤になった。
「大正の佐倉宗五郎」と大書した羽二重の白無垢、渡すことならないと云われて、支倉は激怒した。
「それはどう云う訳かっ!」
「どう云う訳と云う事もない」
看守は支倉の怒号には馴れているから平気だ。
「こんな不穏な文字を書いたものを着て、公判廷に出す訳には行かぬ」
「何が不穏だ」
「不穏だから不穏だ」
「そ、そんなら何故前に云わぬ」
「馬鹿な事云え。前にそんな事が分るものか」
「だ、黙れ。き、貴様等は俺の出す手紙を一々検閲するではないか。俺の注文書を読まなかったか」
「成程」
「俺は事明細に認めて郷里の紺屋に注文したのだ。それを刑務所の役人は読んでいる筈だ。着て悪いものを注文すると思ったら、何故その時に注意せぬ」
「成程、之は一本参った」
「出来てから取上げるとは、みす/\俺の懐中を痛めるのではないか」
「うむ、お前の云う所は尤もだ。よし/\も一度聞いてやろう」
気さくな看守で、彼は鳥渡支倉の説に共鳴したと見え、上役の所へ帰って来た。
「支倉は注文する時に止めないで、出来てから取上げるのは不都合だと呶鳴っていますが、どうしましょう」
「どうしましょうたって、これを許して着せる訳には行かん。成程、注文書に気がつかなかったのは我々の手落だが、気がついた所でまさか注文の時に干渉も出来なかったろう。何でも好い不許可にして終え」
「そうです。じゃ、そうしましょう」
こんな事で折角支倉が楽しんでいた法廷の晴衣も結局着て出られない事になった。
之は支倉が神聖なるべき公判をどう云う風に見ていたかと云う事が分る一つの面白い挿話だが、要するにあれもこれも彼が死刑から逃れようとする果敢《はか》ない※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》きなのだ。
支倉は前に述べたように保釈願と云う事に全力を注いで、遮二無二許可になろうと企んだが、遂に事は成らなかった。そこで彼は次の公判にはどうでも犯罪事実を覆えすか、出来なければ例の怒号咆哮で公判を延ばそうと云う考えで、その一着として閲覧願と云うものを提出した。
「来る四月二日出廷の節、其場(公判準備室)に於て、
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大正六年押二八八号ノ四
小林遠吉より小林定次郎宛、書信三通をどうぞ閲覧させて頂き度、此事前以て呉れ/″\も御願い申して置きます云々」
[#ここで字下げ終わり]
一寸見て別に変哲もない願書だが、彼は此願書に例の細字で数百字認めた金沢市長宛の葉書の写しを添えて、三月二十四日から二十七日の間に前後四回、全く同文のものを提出している。この事は前に述べたが、彼の押の強いのには舌を巻かざるを得ぬ。
かくて大正十三年四月二日更新第一回(恐らく震災の為に続行公判を打切り更新したものであろう)の公判が開かれる事となった。彼としては最後の努力を試みるべき所、彼は前記の閲覧願の外に、押収の書信数通の返還を乞うと共に、神戸牧師に宛て巨弾を一発放った。
「前略、僕は破壊主義の男ではない。トコギリ庄司の不正をさらけ出して庄司を免職させなければならんのだが、あなた方の出ように依っては頑張る者ではない。であれば免職するもせないも庄司の心一つにあるのである。アナタは大正六年三月十九日に神楽坂署長室に於て、保証人及尽力者として立って、私とどんな約束をして居るか、まさか忘れはせまい。君も牧師なんだから、牧師なら牧師らしく約束した事を実行するのはアタリマエではないか」
最後の公判
大震災に万物一様の破壊を受けて、再生の機会を与えられた更新第一回の公判は、支倉に取って千載の一遇、この機を逸しては好機再び到ろうとは思えない。彼はこゝに最後の努力を試みる事となった。
獄に投ぜられてより数年冤罪を叫び通し、殊に最近二、三年は公判廷にあってすら咆哮し怒号し、審理の進行を極力妨害した。その有様の猛烈、凄惨を極めた事は当時目撃した人を尽く顫え上らしたものである。神戸牧師をして、
「彼は被告として公判廷に出《い》ずる度に猛烈な兇暴態度を示しながら、且つ其雄弁と剛腹とは全法廷を慴伏《しょうふく》していた」
と嗟嘆《さたん》せしめた程である。
或人は疑った、彼は既に狂せるのではないかと。彼が一旦はふり落ちる涙と共に自白した事を翻えしてから後は、遂に自ら深く罪を犯さゞるものと信じて、偏《ひとえ》に周囲の強うる所として憤り悲しんだ点は、一種の強迫観念に基くものかも知れぬ。然し、彼の書信或いは上願書の類を見ると、彼は決して狂気とは思えない。却々《なか/\》計画的な所があり、理路も時に辻棲の合わない事はあるが、多くは整然として乱れていない。庄司氏を罵って姦謀(官房)主事と称《とな》えたなどはその一つの現われで、官憲も狂人としては扱わなかった所以である。
さて、大正十三年四月二日は公判準備調べに止《とゞ》まり、ほんの小手調べに過ぎなかったが、この時能勢弁護士は、
「被告を検挙した責任者であり、且つ被告と神戸との間の往復文書並びに神戸の提出した書状の行方について知悉《ちしつ》している当時の神楽坂警察署長庄司利喜太郎を喚問して、書状の件並びに被告の自白に至った径路につき御訊問が願いたい」
と申請した。
庄司氏を法廷に呼び出して思う存分聞いて見たいと云うのが、支倉年来の望みで、能勢弁護士も亦策戦上之を必要と認めて、従来機会ある毎に彼の喚問を申請したのであるが、庄司氏は署長より後に警視庁に入り、官房主事となり、転じて警務部長の要職を占め、多忙を極めていたので、そう云う事が理由になったのか、それとも実際必要を認めなかったのか、いつも極って却下せられるのだった。が、今は故あって庄司氏は警務部長を辞し野にあったので、機会は好しと能勢氏は同氏の喚問を求めたのだった。四月七日に至って左の如き決定書が下附せられた。
決定
[#地から4字上げ]支倉 喜平
[#ここから2字下げ]
右に対する窃盗放火詐欺強姦致傷殺人被告事件に付き大正十三年四月二日公判準備手続に於て被告人及其弁護人より申請したる証拠調べに対し、検事の意見を聞き左の如く決定す。
右申請中庄司利喜太郎、戸塚新蔵を証人として訊問し其余は却下す。
大正十三年四月七日
[#ここで字下げ終わり]
[#地から6字上げ]裁判長以下署名捺印
支倉はこの決定を受取ると文字通り雀躍《こおどり》して喜んだ。恨み重なる庄司署長、今まではたゞ呪いの手紙通計七十五本で間接射撃をするばかりだったが、今度は彼を眼のあたりに迎えて、思う存分望みを遂げる事が出来る、彼
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