は釣り上り、見開いた眼は悲痛に輝き、きっと結んだ唇をブル/\顫わせて、呻くような太い息を吐いた姿は正に怒れる閻王の如く、気の弱い者なら眼を閉じて怖じ恐れて口を利く事さえ出来なかったであろうと云う。之は後に能勢氏が親しい友に語った所だ。
静子は何故に彼から背き去ったか。温良貞淑なりし彼女を誘惑し去ったものは何ぞ。筆者はその後の彼女の消息は杳として知らないけれども、誰か起って彼女を責めるものがあろうか。両親の勧むるまゝに前科ある人とは知らで嫁した夫は、一子を儲けると忽ち拘引せられて、忌わしい殺人罪で死刑を宣告せられた。彼は冤罪を叫んで控訴したが、家には一銭の貯えもない、空閨数年いかでか守り卒《お》えるべき。獄中に呻吟する夫を振り捨て、他に頼るべき人を求めたのは、薄情と云わば云え、又止むを得ない事ではなかろうか。筆者は薄幸なりし彼女の半生に一掬《いっきく》の涙を濺《そゝ》ぐに止《とゞ》まって、敢て彼女を責めようとはせぬ。
さわれ、取残された獄中の支倉は、唯一の頼みの綱を断ち切られて前途に全く希望なき身となった。深夜幾度か獄窓に凭《もた》れて男泣きに泣いた事であろう。
彼は妻の責め問われるのに忍びずして、遂に神楽坂署で自白した。妻子の将来は心配するなと云った、署員の言葉を深く信じたのだと云う。そうして妻子の生活の資にと思った家屋が差押えられて、彼等が忽ち路頭に迷わねばならぬ事を知った時が、思えば悪化の最初であった。今妻に見放されて、一朝にして恩愛の絆は断たれ、僅に能勢弁護士、木藤大尉の厚き同情があるとは云え、孤立無援、天涯孤客となった。而も自分は捕われの身である。彼は生きながらの呪いの魔となるより途はなかったのだ。
彼の呪いの目標は何と云っても神楽坂署長庄司だった。彼は物凄い脅迫の手紙を絶え間なしに送った。庄司署長の手許に届いたものだけで前後七十五本を算し、その外いかにして探ったか、署長の親類姻戚関係を辿り、罵詈《ばり》を極め、果は署長の出身小学校、中学校、戸籍役場より、其他関係しているあらゆる会にまで手を延ばし、甚だしきは署長夫人の出身女学校の校長にまで魔手を及ぼした。夫人の実家へ舞い込む頻々たる脅迫状に、当時奉公中の下女が顫え上って暇を乞うて逃げ出したと云う事もあった。
監獄内からの発信は典獄に於て一々点検して、不穏なものは発信せしめない事になっていたのだが、検閲係りも多い中とて、つい疎漏に流れたと見える。
然し、支倉の書信は全部許可された訳でなく、可成り発送止めになったのだった。それを以て見ると彼がどんなに多くの手紙を認めたか想像に余りある。彼は検閲に不満を抱きこんな上願書を典獄に出した。
「お願い申すのは甚だ恐れ多い事ですが、私から外へ出す書信を御不許可に遊ばす際にはこの所此の所が悪いから不許、この所を抹消したなら発信を許可してやると云う事に、一寸お印をおつけ頂き、そこを抹消したなら発送を御許可しいたゞけますよう、此所上願書を以て及上願候也」
大正十一年六月七日第十二回の公判が開かれた。
支倉は徹頭徹尾犯罪事実を否認し怒号した。
「神楽坂署で庄司署長がお前と義兄弟になって、必ず悪くは計らぬから、俺の顔を立てゝ白状して呉れと泣かん許りに頼みましたから、その気になり全然虚偽の自白をしたのです。あの頭蓋骨は品川の菓子屋の娘ので、貞のではありません。庄司がそう申して居りました」
この公判の時之まで弁護人から度々申請して許されなかった、神楽坂署の佐藤司法主任石子刑事の二人が次回に証人として呼ばれる事になった。
「東京未決監未決六年、冤枉《えんおう》者支倉喜平」
之が大正十一年頃支倉がその書信に定って麗々しく書いた署名だった。
彼は六年の長い間未決監にあって、冤罪を訴え続けていた。彼の主張は神楽坂で拷問を受け心にもない自白をしたと云う一点だった。無罪か死刑か。実に明治大正を通じての一大疑獄たるを失わない。
支倉の自白に立会った人はその真実を信じるだろうし、収監以後彼の愁訴を聞いた人達は又彼の云う所を信ずるであろう。木藤大尉は彼を哀れんで助けようとし、能勢弁護士は神楽坂署の拷問事件を糺弾しようとする。殊に後者は機会ある毎に新聞に雑誌に講演に、官憲の人権蹂躙を叫んだので、只さえ一大疑獄になろうとしている所へ、被告人支倉が又特別な性格の持主、そこへ能勢氏の宣伝と三拍子揃ったから、世論|囂々《ごう/\》、朝野の視聴を集め、支倉事件は天下の一問題となった。
能勢弁護士はどうでも神楽坂署員の首の根っ子を押えて、取っちめようと云う考え、之まで度々署長以下の喚問を願ったが、中々許可されなかった。今度も肝心の元署長で今は警視庁の官房主事をしている庄司氏は許可されなかったが、司法主任と、支倉の逮捕には最初から奔走した石子、渡辺両刑事とが喚問せられる事になったから、彼等をあくまで追求して、前後矛盾の答弁でもあったら、直ちに突ッ込んで局面を有利に転回せしめようと手ぐすね引いて待ち構えていた。
支倉は相変らず諸方へ脅迫状を送り、殊に庄司署長、石子刑事あたりへその主力を傾倒した。
鳥渡申述べて置くが、支倉が未決数年に亘り、どうして裁判其他の費用を捻出したかと云う問題だ。他の事は分らぬが、相当多額に達したであろうと思われる郵便代などは、諸方へ嫌味な手紙を出してねだったものだ。
一例を挙げると、神戸牧師夫人の所へなどは度々次のようなはがきが飛び込んで来た。
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「甚だ申兼ねた御願いですが、これなるハガキ着次第どうぞ御封筒の中に三銭切手百枚御入れ御送りの上、自分出獄まで御貸与いたゞけますよう御願いいたします。如何折返し何れの御返事を願います」
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こう云う風な嫌がらせの手紙で金品を強請された人は外にある事と思われる。
さて大正十一年六月七日、第十二回公判は裁判長以下成規の判官の下に、能勢氏他二、三の弁護人、特別弁護人として木藤救世軍士官が控えて、物々しく開かれた。この公判には神楽坂署の署員が証人として出廷する事になっているので、支倉の運命を決する重大な裁判と云わねばならぬ。彼は例の自ら筆記した大部の書類を携えて被告席に控えていた。
第一に出廷したのは石子刑事だった。支倉事件に関係した神楽坂署員のうち大島司法主任は既に支倉の訊問半にして斃れたが、当時老練の誉高く事件に活躍した根岸刑事は先年物故した。石子刑事は署長を除くと唯一の現存主要人物なので、裁判長の訊問も鋭く、殊に能勢弁護人の追究は物凄い程で、石子刑事は殆ど一人で神楽坂署の非難を引受けて終《しま》った形だった。
彼は能勢氏から支倉拘引の前後の事情、自白に至るまでの経路につき勢い鋭く問い詰められた。石子刑事は白面に些か興奮の色を見せながらテキパキと答えた。死体発掘の模様から、髑髏の件になると能勢氏の面は愈※[#二の字点、1−2−22]熱して来た。
「警察には髑髏が二つあったと云うではないか」
能勢弁護人は石子刑事を睨めつけるようにして云った。
「そんな事はありません」
石子は眉をひそめながら答えた。
「いゝや、被告は確に髑髏を二つ見せられたと云っている」
「そんな事はありません」
「被告の妻にも髑髏を見せたではないか」
「私は知りません」
「髑髏を被告に突つけて嘗《なめ》て見ろと云ったではないか」
髑髏を嘗さしたではないかと云う能勢弁護士の詰問に、証人石子刑事は静かに答えた。
「誰か外の者がそう云う事を遣りましたかどうか知りませんが、私はやりません」
「ふむ、では証人はその骸骨を弄んだ事はないと云うのか」
「鑑定に持出すので、二、三度刑事部屋で弄んだ事はあります」
「それでは証人は被告が警察署で警官の前でいじっているのを見た事があるか」
「ありません」
「証人は被告を警察で打ったり蹴ったりして調べたではないか」
「そんな事は決してありません」
石子刑事の訊問は従来嘗て見ない程詳細に長時間に亘って試みられた。然し石子刑事は拷問の件は極力否認するし、それに何と云っても大島司法主任、根岸刑事の二人が既に死んでいるのが、支倉に取って不利だった。
この二人が生きて居れば別々に訊問して、答弁に前後矛盾した所があれば又何とか突っ込む方法もあったかも知れぬが、石子刑事の方でも都合が悪い所は二人のせいにして逃げて終うし、支倉の云い分は少しも通らない事になった。
石子刑事の次に佐藤司法主任が取調べられた。この取調べも頗る詳細を極めている。ホンの一部を左に抜いて見よう。
問 被告は余り易々と自白しているようであるが、証拠をつきつけられて、余儀なくせられて自白したか。
答 井戸から出た死体を小林貞に相違ないと断定し、それは自殺であるか、他殺であるか。他殺とせば何者がしたのであるか、と云う事について、被告を訊問しますと、被告は貞に暴行を加え、淋毒を感染せしめ、先方から告訴をすると談じられて、漸く示談となり貞を引渡す事になりながら、遂に示談が整わなかったと云うような事実が判明しましたので、尚も捜索を続けると、丁度貞の行方不明になった前後に、支倉が貞と一緒に歩いているのを見たと云う者もあり、其人相は支倉に似ていると云うことでありましたから、支倉を訊問した所、兇行直前貞を連れて歩いていた事を自白致しました。
問 然し三月十八日の聴取書によると、被告は初めから自分のやった事ではない。土工に頼んで大連に売飛ばそうとしたと云っているが、此点はどうじゃ。
答 そうです。被告は最初には土工を頼み、貞を大連に売飛ばそうとしたと云って居りました。
問 其の翌日十九日の聴取書によると、自分がやったと云って居るが、その間に何か有力な訊問はなかったか。
答 別にありませんでした。
問 被告の自白は虚偽の自白だと云わなかったか。
答 断じて申しませぬ。
問 発掘した骸骨を被告の口に当て接吻させ、又消毒してやると称して、被告の頭に石炭酸を掛けた事はないか。被告はそう云う事があったと申して居るぞ。
答 そんな事はありません。
問 其の当時被告は聖書会社より損害賠償の恐れあり、自己所有家屋を妻静の名義にして置けば安心である、又取られない様に警察で保護してやるから、貞を殺した事にして呉れと云われ、それを交換条件として、心にもない虚偽の自白をしたと云うが、右の事実はどうじゃ。
答 断じてそんな事はありませぬ。
証人佐藤警部補の取調べがすむと、次は渡辺刑事の訊問に移った。
裁判長は順序正しく逮捕当時の事から訊問を進めて、問題の中心たる拷問の事に及ぶと、渡辺刑事は、即座にきっぱりと否定をした。
と、突如として、
「馬鹿野郎」
と云う破鐘《われがね》のような声が満廷にひゞき渡った。
神聖なるべき法廷で大喝一声馬鹿野郎と叫んだものは誰ぞ。満廷色を失って声のする方を見ると、被告席にいた支倉が満面朱を注ぎ、無念の形相凄じく、両手に自記の書類を打ち振りながら証人席目がけて突進するのだった。
支倉の大音声は有名なものだった。それに彼は未決監に六年を送ったのにも似ず、どこに彼の精力の根元があるのか、一向衰えた気色もなく、血色も勝れ、どっちかと云うと肥え太っていた。只相好ばかりは昔日の悪相に愈※[#二の字点、1−2−22]深刻味を加え、物凄かったと云う。その支倉が憤怒に燃え、阿修羅王の如く大声を振り上げて証人席に突進したのだから、彼の背後に控えていた看守も暫く唖然として、手の下す所を知らなかった。
「此野郎! 拷問はしないなどと白ばくれた事を云うな。俺をひどい目に遭わしたではないか」
支倉はこう怒号しながら、証人渡辺刑事に打ってかゝった。この時に漸く気力を回復した看守はあわてゝ彼を後から抱き留めた。
この時の公判記録は次のように書かれた。
「此時被告は附添いの看守をして持参せしめたる自己の謄写に係る十数冊の書類を両手に掴み、着席したる腰掛より立ち証人渡辺に対し、
『知らない、此野郎、白ばくれるな。俺を打《ぶ》って酷い目に遭わしていながら』
と云い
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