いがありますが、実は支倉が小林貞の事に関して、当時先生に差上げた書面が数通ある筈だが、それは自分に利益のある書面だと思うから全部お借し下さる事を願って呉れと申したのですが、いかゞでしょう」
「書面ですって」
 神戸牧師の顔にはチラリと不快な影がさした。
「さあ、私も書面は一々保存はして居りませんが、当時支倉の寄越したものは残っていたかと思います。然し、それが果して彼に利益があるでしょうか」
「それは私にも分りませんが、兎に角見たいと申して居りますから貸してやって頂けませんでしょうか」
「貸す事は一向差支ありません。では鳥渡お待ち下さい。探して見ますから」
 神戸牧師は立上って隅の本箱の前に行き、抽斗を開けて暫くゴソ/\と音をさせていたが、やがて一束の手紙を手にして、元の座に戻った。
「当時支倉から来た手紙は之だけ残って居ります」
 神戸牧師は手紙の束を木藤の前に押し遣りながら、
「多分之で全部だと思います。私も後にこんな面倒な事件が起るとは夢にも思いませんでしたから、一々保存をして置かなかったかも知れません。之でお役に立つならどうぞお持ち下さい」
「そうですか。どうも有難うございます。支倉もきっと先生の御好意を喜ぶ事でしょう」
 木藤は手紙の束を無雑作にポケットにつっ込んだ。

 神戸牧師は支倉の希望だと救世軍の木藤大尉の云うがまゝに、支倉が牧師に宛てた古手紙一束を貸し与えた。
 木藤大尉は感謝の言葉を述べて、今後の事を呉々も頼んで辞し去った。
 大尉の去った後で、牧師は軽い懶《だる》さを覚えながら、一点疚しい所のない彼の公明な行動を、どこの隅からか、支倉が恨めしそうな顔で非難しているように思えて、ともすると灰色の不快な雲が頭に蓋い被さるのだった。
 会見の結果を心配して、聞きに出て来た彼の妻にも一言噛んで吐き出すように、
「何でもないさ」
 と云っただけだった。
 流石の神戸牧師もこの手紙を貸し与えた為に、反って非常な迷惑を蒙る事になろうとは気付かないのだった。
 こゝで話は支倉の事に移る。
 支倉は第一審で死刑の宣告を受けて以来、彼の念とする所はいかにして死の手より逃れるかと云う事だった。その為に彼は弁護士初め会う人毎に冤罪を訴えた。裁判長には書面を以て、神楽坂署に於ける拷問によって虚偽の自白を余儀なくせられたことを繰り返し訴えた。一方神楽坂署の庄司署長以下刑事達に対し、物凄い脅迫の手紙を毎日のように送った。それのみで倦き足りないで、各方面に向けて庄司署長の悪声を放った。監督官庁へは毎日庄司署長を免職させろと云うはがきが飛び込んだ。
 当時の支倉の頭は針のように尖って、只いかにして罪を逃れんかと云う事に集中していた。元より愚物|所《どころ》ではない人並勝れて智恵の働く彼の事である。深夜人の寝静まった監房に輾転反側しながら、頭は益※[#二の字点、1−2−22]冴えかえり、種々画策する所があったに相違ない。
 彼は古い記憶を新たにして、あれこれと反証の材料を脳裡に探るうちに、ふと往時神戸牧師に宛てた手紙を思い出した。此手紙のうちには貞の問題に関して、小林兄弟の行動を非難し、自己の立場が縷々として弁明してある筈、之があれば必ず有利な云い開きが出来ると考えた。そこで自分に深甚の同情を持って呉れる木藤救世軍士官に依頼して、首尾よくその手紙を手に入れる事が出来た。
 彼は手紙を手渡された晩、ニヤリと気味の悪い会心の笑を漏らしながら、自分の認めた古手紙を一々調べて見た。が、読んで行くうちに、みる/\彼の微笑は消え、残念そうな表情が浮んで来た。手紙には予期したような有利な言葉を見出す事が出来なかったのだ。
 彼は暫くハッタと薄暗い監房の片隅を睨んでいたが、やがて彼の非常な脳髄の冴えは、神戸牧師の寄越した手紙のうちに自分の書いた覚えのある三本の手紙が欠けている事を発見した。
 彼は眼を大きく見張り、大きな息を弾ませながら、物凄い形相で呻り出した。
「うむ、隠したな」
 こゝに欠けていたと云う三本の手紙は果して彼に取ってそんな有利なものだったろうか。それは疑わしいが、今全精力を挙げて罪を云い解こうとしている異常な念力で手紙の欠けている事を発見した彼には、釣り落した魚が大きく思えるように、いや今の彼はそんな悠長な比喩では現わせない、死か生かと云う之以上重大な事はないと思える事件に当っているのだから、欠けている三本の手紙がいかに大きく彼に響いたか、察するに余りがある。
「おのれ、神戸牧師! 庄司に頼まれて、俺に有利な三本の手紙を隠したなっ」
 支倉は再び忌々しそうに叫んだ。
 翌日、彼は直ちに筆を走らせて神戸牧師にはがきを出した。
「神戸さん、アナタは牧師なら庄司とグルになって、私をいじめないで下さい。私の手紙を隠さないで下さい。三本の手紙を早く出して下さい。でないと私はあなたを告訴します」

 大正八年二月七日に第一回公判を開いた第二審控訴院の審理は、同年五月三十日に既に四回の公判を重ねたが、其時に能勢弁護人より、
「被告支倉喜平は先日以来本件事実の真相を記録いたして居りまして、上巻だけは既に脱稿いたし、中巻は近日脱稿いたす筈で、下巻の脱稿には尚一ヵ月を要する由でありますから、右記録が全部脱稿致します迄、公判の延期を願いたいのであります」
 と云う要求があった。そこで公判はそのまゝ延期となり、九月二十七日には聖書会社が私訴の取下げをした事実があった限《き》りで、その年は暮れて終った。
 大正九年二月二十日第五回公判に於て、能勢弁護士は支倉が獄中で細々と認めた記録上中下三巻六冊を参考書類として差出した。裁判長は列席判検事と一閲の上、追って熟読すべしと云って分厚の書類を請入れたが、之ぞ後に公判のある毎に支倉が風呂敷包みにして出廷の際肌身を離さなかったと云う大部の書類である。
 裁判長はこの時威儀を正して、
「今差出した書冊に記録した事は真実の事で、且つ書洩らしはないかどうじゃ」
「はい、全部偽らざる記録であります。書洩らしもございません」
 支倉は悪びれずに答えた。
 支倉は一方裁判長にかくの如き浩瀚《こうかん》なる書類を出すと共に、一方庄司署長、神戸牧師に恨みの手紙を出す事は少しも怠らなかった。
 その頃神戸牧師の受取った手紙にはこんな事が書いてあった。
「神戸さん、アナタは本統の牧師であったら嘘を言わんで下さい。嘘を言って私を此上困らすと、私は絶食して死んでアナタの子々孫々にかけてタタリますぞ」
「私はなんの為にサダを殺すか? よく考えて下さい。解決済みにならんサキなら尚お殺せんじゃないか。私やアナタにサダはまだ関係のある中になくなったものとしたら、サダの出るまで私やアナタに『サダを出して返せ』と云って要求さるゝではないか」
「神戸さん! 私は当時アナタの所に書き送っとる小林サダと私とのなした行為及高町の所に何時何日に薬価及び入院料を払ってある、強姦でないと云う事が明記されとる所の手紙を裁判所の方に出して下さい。それから自分は二十六日には朝何時に家を出て、何処其処に行って何用を弁じて、何時何十分頃に宅《うち》に帰っとると云う事が詳しく書いてある手紙を裁判所に出して下さい。二十六日に於ける朝から帰宅迄の行動動作に就いては私は当時アナタにも定次郎氏にも詳しく話しもし、又書面にも詳しく認めて両方に上げてある筈ですから、是非一日も早く出して下さい」
 神戸牧師が庄司署長から頼まれて、故意に三本の手紙を隠したと狂気のように喚いた支倉は、後にこの為に遂に神戸牧師を偽証罪で告訴をさえ試みたが、之は神戸牧師に取っては迷惑千万な事だった。元より彼は故意に隠したのでもなんでもなく、木藤大尉が手紙を借りに来た時につい手渡しする事を忘れたので、支倉の追究が余りに激しいので、後に神戸牧師も耐りかね家探しをして幸いに見つける事が出来たので、裁判所へ差出したが、遂に支倉の満足を得る事が出来なかった。
 大正九年は五、六、七、八、九と五回の公判を重ねたが、いずれも既に調べた事実を反復する許りで、新しい事実としては警視庁の写真課の技手に貞子の写真から身長を算出せしめた位のことで暮れて終った。大正十年は僅かに一回の公判で終いとなり、年は明けて大正十一年となった。支倉は一審以来正に満五年間獄に繋がれているのだった。その間筆を呵して冤罪を訴え続け、呪の手紙を書き続けていた彼は哀れな人間と云わねばならぬ。
 が、こゝに愈※[#二の字点、1−2−22]彼を悪化すべき事件が起った。


          呪

[#ここから2字下げ]
「暑中御機嫌を伺う。
君は僕に犬牧師と言われても異議あるまい。異議ないと云う事は君の良心に問うて見れば直ぐ分る。君ア庄司利喜太郎から頼まれ、三本ばかり手紙持って来たて、この喜平は承知するものか、組んで世の中を余り胡魔化すなよ。君は神の前では愧《はず》かしくないか。ホントの牧師であったら慚死するのが正当ならん。私ア庄司利喜太郎が隠しとるものを悉皆出さんことには承知しませんぞ。
 大正十一年八月八日
「庄司利喜太郎と心を協せ書類を皆隠して僕を苦しめるとは実に酷い。鬼か蛇か。心を協せ隠した書類を皆庄司から出させて下さい。
 大正十一年九月二十日
「神戸さん、君庄司利喜太郎から頼まれて三本ばかり手紙を持って来たって、この喜平は承知するものか。君良心に恥じんか。庄司の隠しとるものを悉皆出させて下さい。出さん事にゃ承知せんぞ。
 大正十一年九月二十三日
「秋季御機嫌を伺う。
(この分前掲暑中御機嫌を伺う。以下と全く同文)
 大正十一年十月二十三日
「ニセ牧師
君方小刀細工やらずに、マトモに出ると、此後私ア唖子《おし》になって君方の名誉を保って上げるが、君方ア判官や検事を欺こうと謀っていろ/\ワルサをやるからワシは唖子になる事は出来ません。(以下前同文)
 大正十一年十月二十五日
「前同文大正十一年十月二十七日」
[#ここで字下げ終わり]
 僅に一ヵ月の間に神戸牧師の宅に飛び込んで来た支倉の呪のはがきは六本を算した。彼は苦笑いをしながら眺めるより仕方がなかった。
 が越えて大正十二年一月元旦には支倉からこんな手紙が舞込んで来た。
[#ここから2字下げ]
「恭賀新年
庄司利喜太郎と心を協せ山々の書類を隠し、偽証、喜平を無実の罪に陥いれたる神戸氏の御健康をお祈りいたします。
書類を隠し偽証に出で無実の罪に陥いれられている未決七年
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]冤枉者 喜平」
 このはがきを読んだ時には流石の神戸牧師も、彼の執拗な悪意に悲憤の涙を呑んだ。
 が、何がかくまで支倉を悪化させたか。
 彼は事実彼の主張する如く冤罪者だったか。もし果して然りとせば、云い解くに道なく、六年の長きに亙って、監獄に繋がれていれば世を呪い人を恨み、或いは嘆き或いは憤るのは蓋し当然である。よし事実犯せる罪であっても、六年の長きに亙って、冤罪を怒号し咆哮し続けているうちに、いつか彼は自分が無実であったかのように固く信ずるようになったかも知れぬ。加うるに彼の性質は既に拗《ねじ》け、剛腹《ごうふく》で執拗であるから、長き牢獄生活に次第に兇暴になったのは敢て不思議ではない。
 然し俄然彼の態度に一変を加えたのは、彼の妻静子が彼から背き去った事であった。
 読者諸君は支倉がいかに彼の妻子に対して愛着の念を持っていたかをよく知って居られるであろう。彼の愛は変態と云っても好い程、強い偏った愛だった。すべての囚人は妻子の事のみを案じ暮すと云う。況んや彼支倉の如きは只妻子を思うのみで、只管に死を逃れ、憎い神楽坂署長に恨みの一言を報いようと努力し続けたのである。
 ある朝、此頃静子が次第に自分を訪れる事が疎《うと》くなって来たので不安を感じていた支倉は、能勢弁護士から彼女が仇男《あだしおとこ》を持った事を聞くと、みる/\憤怒の形相となり、ハッタと能勢氏を睨みつけた。流石の能勢氏もタジ/\とした。

 妻の静子が彼に背き去った事を聞いた支倉の形相は実に物凄いものだった。彼の太やかな眉
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