倉の運命に重大影響を及ぼすのである。事柄が事柄だし、こんな迷惑な証人は恐らく他にないだろう。
 神戸牧師はゴクンと喉の塊りを呑み込んで、下腹に力を入れながら、裁判長の顔を仰いだ。

 裁判長は型通りの質問をした後きっとなって、証人と被告との関係を尋ねた。
 神戸牧師は予審廷に於ける通り支倉との浅き交友を述べ、貞子の事につき、支倉と小林との間を調停するに至った事を述べた。
「支倉は貞との関係につき始めは中々秘して語りませんでしたが、遂に私の面前で恥且つ悔いながら逐一申述べました」
 こう云って口を閉じると、神戸牧師はそのまゝむっつり黙り込んで終《しま》った。
 裁判長はこゝぞと声を励ました。
「その時被告は証人に貞を暴力を用いて犯した事を自白したか」
 此返辞は重大である。満廷固唾を呑んで牧師の身辺を凝視した。
 支倉は終始一貫と云って好い程暴行凌辱を加えた事を否認している。彼は合意の末通じたものである事を主張しているのである。合意か暴力を用いたか、之は支倉の死命を制する問題だ。後に支倉は神戸牧師の予審廷以来の証言に深き憾《うら》みを抱き、後数年間彼は嘗ては師事し、貞子の事件には一方ならぬ世話になり、彼の上願書にも「立派な牧師の調停により事ずみになった」旨を強調した程、恩義を感じていた神戸牧師に対し、あらゆる罵言を浴びせかけ、偽牧師と罵り、庄司署長と結託して彼を死地に陥れたと怨言を発し、果は恐ろしい呪いの言葉を吐きかけるに至った。
 この支倉が庄司署長と神戸牧師がぐるになって俺を陥れるのだと、呪いの言葉と共に叫び通したのは少しは理由がある。それは署長と牧師とはいずれも北国のある高等学校の出身で、尤も同級と云う程ではなく、神戸氏の方が先輩なのだが、在京同窓会などで、時々顔を合して、二人は満更知らぬ仲ではなかったのだ。
 それを聞き知った支倉は、神戸牧師が庄司署長を庇護する為に彼に不利益な証言をしたと怒号し出したのである。
 卑しくも人一人の生命に係る事を、高が高等学校を同じゅうした位の縁故で、法廷に於ける証言を、殊に牧師の身にある人が抂げると云う理由がない。支倉の僻《ひが》みだろうと思われる。
 所で同じ高等学校の出身と云う事について一寸面白い挿話があるからこゝに書いて置こう。
 支倉事件よりずっと後に、某省の官吏だった山田健と云う男が御用商人を野球用のバットで撲り殺した事件は読者諸君の記憶に尚新なる所だろう。あの山田と云う男が庄司利喜太郎とやはり高等学校を同じゅうした、ずっと後進なのだ。彼は後に身を誤ったが、世話好きな豪傑肌の男だったと見え、よく友人の尻拭などをしてやったもので、或る時友人の一人が酔った余り乱暴を働いて警察に留置され、事が面倒になったので、山田は母校の先輩である当時警視庁の官房主事をしていた庄司氏を訪ねて、援助を乞うた。庄司氏も事柄が高が酔興の失敗位だったので、その際の警察の署長に話してやって、学生を放免させた。
 その後暫くしてから山田は又々真蒼な顔をして、警視庁を訪ね庄司主事に面会を求め、友人が人殺しをして発覚しそうになっている。ついては彼を満洲に逃がしたいから見逃して呉れと必死になって頼み込んだ。
 無論庄司氏は首を振った。
「馬鹿な」
 後に庄司氏は人に語った。
「酔っ払いの放免と人殺しとを一緒にするちゅう奴があるものか、ハヽヽヽ」
 神戸牧師にしてもその通りだろうと思われる。人を殺人罪に陥れるのと、母校を同じゅうしただけの友人を庇護するのとは同日に論じられないではないか。
 裁判長の、被告は暴行を加えた事を申し述べたかどうかと云う問に対して、いずれも息を凝らして返辞を待ったが、神戸牧師はやおら口を切ってきっぱりと云った。
「その事は申上げられません」
 意外な返事である。満廷どよめき渡った。

 公判廷に於て証人が証言を堂々と拒絶するとは未だ聞かざる所である。
 神戸牧師の言葉に意外の感を起した宮木裁判長は直ちに荘重な声を一段大きくして云った。
「それはどう云う理由であるか」
 神戸牧師は臆する色なく答えた。
「支倉は私を牧師と見込んで、彼の秘密を打明けたのです。即ち彼は自白したのではなく、懺悔をしたのです。神に対して告白する所を私を仲介者に置いたのに過ぎないのです。私は神に向って懺悔せられた人の罪を、軽々しく公の席で申し述べる事は出来ませぬ」
「然らば証人は」
 裁判長は牧師の道理ある言葉に少し難渋の色を見せながら、
「法廷に於ける証言を拒絶する意志であるか」
「私は神の僕《しもべ》であると共に」
 牧師は答えた。
「法律の重んずべき事は能く存じて居ります。もし法の命ずる所として強制せられるならば致し方ありませぬ」
「さようか」
 裁判長は一寸首を捻《ひね》ったが、直に休憩を宣して、陪席判事に目配《めくば》せすると大股にゆっくり歩きながら退廷した。
 暫くすると、合議が終ったと見え、裁判長は矢張り前と同じように大股にゆっくりと歩んで現われて来た。
 彼は着席すると直に証人を呼びかけた。
「改めてもう一度聞くが、証人は果して法律上の其の証言を拒む意志であるか」
「いゝえ」
 牧師は答えた。
「必ずしもそうではありませぬ」
「然らば裁判長は職権を以て、証人が支倉より聞知した告白を、当法廷に於て陳述する事を要求する」
 宮木判事はきっと宣告した。
 神戸牧師はきっと唇を噛んで顔色を蒼白にして暫く黙っていたが、漸く決心したものと見えあきらめたように云った。
「それでは致方ありませぬ。支倉は貞を暴力を以て犯した事を明白に私の前で告白いたしました」
「うむ」
 裁判長は意を得たりとうなずきながら、
「それはどう云う告白だったか」
「支倉は彼の二階で妻の不在中、貞に按摩をさせているうちに情慾を起し、遂に貞の意に反して犯したる旨申しました。そうして小林に対して謝罪をする事を承知したのです」
 神戸牧師は額に冷たい汗を滲《にじ》ませて、苦悶の表情を浮べながらこう答えたが、又元のようにむっつり黙って終った。
 神戸牧師は支倉が自分を信じて告白した所の、彼の告白を、無慙にも公判廷で申述べねばならなくなった事を余程心苦しく思ったに相違ない。彼は数年の後当時を回顧して、こう云っている。
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「殊に予は予の立脚地として、社会公衆の前に訴うべき一事があるのである。それは裁判法廷に於て、牧師の前に於てなしたる被告の精神上の告白を、証人として其まゝ裁判所が其内容を強要し得るや否やの点である。現に予は第一審に於て、当時の裁判長の前に於て、一旦此証言を拒絶したのであった。然るに、裁判所は合議の結果其権威を以て予に証言を強要し、以って当時被告支倉の姦淫に関する告白を其まゝ法廷の証言として仔細を述べしめたのであった。これ牧師たる予の今に至るまで承服し得ない所である」
[#ここで字下げ終わり]
 右の一文と当時法廷に於ける言葉で分る通り、神戸牧師は強き性格の人である。彼の証言拒否は決して支倉を庇護する為ではなく、牧師としての良心の現われの一つであった。尤も証言拒否が成功すれば、支倉としては秘密に触れられなくてもすむのであるから、大いに利益したに相違ない。牧師も亦積極的に彼を庇護する積りはなくても、云わずにすめば支倉の迷惑は軽減すると考えていたに相違ない。
 けれども結局云わねばならなくなったから、彼の一旦拒否した事は偶※[#二の字点、1−2−22]《たま/\》彼の証言に重きを加える事になって終った。
 被告の利益を代表する能勢弁護士、何条黙すべき。

 神戸牧師の証言重々しく、被告にとって一大事と見た能勢弁護士は直に立って、裁判長に向って証人の質問を試みたき事を要求した。
 裁判長は能勢氏の欲するまゝに証人に対して質問を許した。
「只今証人の言の如く暴行云々と云う事になると、重大問題であるが、これについて被告の謝罪方法はどんな事であったか」
 之は能勢弁護士の第一問である。
「それは」
 牧師は弁護士を尻目にかけながら、
「小林兄弟に対して謝罪状を認める事と、本人の病気を治療する事の二つです」
「証人又は小林兄弟に於て、私通と主張するなら被告を告訴すると云った事があったか」
「私には立派に暴行なる旨自白したのですから」
 牧師は冷かに答えた。
「そんな問題は起りません。然し、被告は小林兄弟に対しては私通なる旨主張していたようでした」
 能勢弁護士はこゝに質問を打切った。長追いは無用である。今の証人の答弁で暴行云々と云う事が小林兄弟に於てさ程問題にされていなかったと云う印象を裁判官に与える事が出来たら、それで成功なのである。
 神戸牧師の訊問は之で終りを告げ、次で小林兄弟、高町医師其他数名の証人が引続き取調べられた。
 最後に裁判長は被告に向って、今までの証人並に参考人の陳述につき、意見、弁明、反証等はないかと聞き質した所、被告支倉はなしと答えたので、その日は閉廷となり続行する事となった。
 十月二十七日には宮木判事は放火の疑いのある旧支倉宅の実地検証を行った。
 十月二十九日十一月八日に夫々続行公判があり、専《もっぱ》ら聖書窃盗に関する証人の訊問が行われた。
 その間中央気象台より貞の行方不明になった大正二年九月二十六日の天候の回答が来ていた。すべ/\した洋紙にペンの走書だが、最後の行に「月明なし」と云う句が冷たく光って見えた。月明があれば少くとも当夜如何に原中でも兇行が行い難いと云う消極的の反証にはなるものを「月明なし」ではとりつく島もない。
 十一月に這入ると、先に下命した鑑定の結果が続々判明して来た。鑑定書はいずれも微に入り細を穿ち、頗る浩瀚《こうかん》なものであるが、こゝには結論を挙げるだけに止《とゞ》めて置こう。布地に関する鑑定は次の如くである。
[#ここから2字下げ]
   鑑定
別封第一 片側は濃き納戸地に茶色の模様ある友禅モスリン地片側は黒色の毛繻子地よりなる昼夜《ちゅうや》女帯の一部
別封第二 別封第一の濃き納戸地に茶色の模様ある友禅モスリン地と等しきものなり
別封第三 肉色又は白茶色の地合に赤若しくは金茶色の花様の模様ある友禅モスリン地
別封第四 桃色地に赤色の模様ある友禅モスリン地よりなる縫紐の一部
別封第五 別封第三の布地と等しきものなり
別封第六 モスリン地及黒色毛繻子の緯糸並に鋏
  大正六年十一月七日
[#ここで字下げ終わり]
 以上は高工教授佐藤氏の鑑定で、田辺裁縫女学校長の分は次の通りである。
[#ここから2字下げ]
   鑑定
 以上詳記せる如くにして、之を要するに黒色繻子に藍鼠鹿子形|捺染《おしぞめ》メリンスの腹合《はらあわせ》帯にて幅九寸内外長さ八、九尺にして、片側は全部黒毛繻子、片側は黒毛繻子を折返し、不足分に接ぎ合せたるメリンスを縫いつけたるものにして、之を黒毛繻子を内側に二つ折にして締め居りたるものと推定す。
   大正六年十一月十日
[#ここで字下げ終わり]

 死後六ヵ月を経て井戸から出た死体を、三年間土中に埋没した後掘り出して、色も褪せボロボロになって原形を止《とゞ》めない着衣の一部の切れ地から、立派に元の状態が推測出来る科学の力は驚く外はない。而もその服装が小林貞子の家出当時の服装とピタリと一致しているのだ。因縁と云うものゝ恐ろしい事は、貞子が普通ありふれた服装をしていたのなら、又見極める事もむずかしかったであろうが、彼女は田辺校長の鑑定で分る通り、誠に特異な帯を締めていたので、僅に残った帯地が彼女を確認する手段となった。
 之も支倉の運の尽きる所であろう。
 彼女が特異な帯を締めていたと云う事は、死体の上った節、検視した品川署の警部が、三年後の今樺太は真岡《まおか》支庁に転任していたが、東京地方裁判所の委嘱により、同地方の判事が取調べたが、彼はこう云っている。
「帯は普通の女帯では勿論なく、又細紐でもなく、若干巾広の女の用うる細帯でした。何分時が経つので、すっかり忘れて終いましたが、帯が普通の女帯でなかった事だけははっきり覚えています」
 友長医学士の
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