入って来た無礼をむげに咎める事が出来ないのだった。
「そうでしたか」
 浅田はうなずきながら、
「此頃のように気を使っては尤もな事ですよ。そう云えば支倉さんもいよ/\公判に廻るそうですね」
「はい、近々そう云う都合になるそうです」
「予審で免訴と云う訳に行きませんでしたかなあ」
「はい、矢張り有罪と極りました。それに」
 静子は恨めしそうに浅田を見上げながら、
「保険会社から私訴とやらが出まして、この家を仮差押えされて終いました」
「えっ、仮差押え?」
 浅田は驚駭の色を現わしながら、
「そ、そんな筈はありませんが」
「でも、いたし方ございません。一昨日すっかり差押えられて終いました」
「はてね」
 浅田はじっと天井の隅を睨み上げながら、
「そんな事が出来る筈はないと思いますが、早速調て見ましょう。この家を押えられては困るでしょう。支倉さんも家を非常に頼みにして居られて、一日も早く無事にあなたの手に移るようにと、そればかりを気にして居られたのですからね」
「はい」
 静子はうなだれた。
「この家が自由になりませんと、弁護士を頼む事も出来ません」
「ほんにそうですね」
 静子の言葉に浅田は始めて気がついたように、
「公判に廻るとすれば一時も早く弁護士を頼まなければなりません。宜しゅうございます。私がその方をお引受けしましょう」
「何から何まであなたにして頂いては私の心がすみませぬ」
 その親切が恐ろしいと静子は溺れた者の藁でも掴むと云うその心で、外に頼る所もない身の浅田の申出に飛つきたいのを、じっと仰えて静かに断りの言葉を述べた。
「そんな遠慮はいりませんよ。奥さん、今更そんな事を云うのは水臭いじゃありませんか」
 ニヤリと笑った浅田の顔は常よりも一層卑しげに見えた。なろう事ならこの人の世話は断りたいのであるけれども、この人を外にして夫の世話をして呉れる人があろうとも思えぬ。思い悩んだ静子は黙って頭を垂れた。
「弁護士は能勢《のせ》さんが好いでしょう」
 浅田は一向静子の様子を気にせずに喋りつゞけた。
「あの方なら私も少しは知っていますし、こんな事には持って来いの人です。費用の事などは喧《やかま》しく云わないで、いつでも弱い者の肩を持って呉れる人ですよ」
「支倉も能勢さんにお願いしたいような事を云って居りました」
 静子は漸く頭を上げた。
「そうですか。じゃ支倉さんもきっと評判を聞いたのでしょう。では兎に角一人は能勢さんにお願いする事としましょう」
 能勢《のせ》弁護士と云うのは人も知る官権の横暴と云う事に強い反感を持った人で、卑しくも官権が圧迫を加えたと云うような事実に対しては彼一流の粘り強さで徹底的に糾弾《きゅうだん》する。若い裁判官は彼の皮肉な弁護振りに思わず苦い顔をする位で、戦闘意識の強い被虐階級には、有力な味方なのだ。その代りに時に反対せんが為に反対し、一部からは売名の徒と悪く云われる。事実弱者の味方をして有名になったのだから、売名と云われても仕方がないが、今の世の中に名を売る手段として弱者の味方をすると云う事は愚の極だ。むしろブルジョア階級の御出入を勤めて、名利合せて得る方が利口だ。そう云う利口な事の出来ないのは矢張り気質から来るので、能勢弁護士もどこか変った所がある拗者《すねもの》ではないかと思われる。兎に角関係記録を隅から隅まで読んで、よく腹の中に入れて置く事については定評のある人で、この点は流行弁護士が記録の下読をさせて要領だけを聞いたり、汽車の中で匆々の間に記録を走り読みしたりするのと選を異にしているようだ。支倉がそれと知って能勢氏に弁護を希望したかどうか分らぬが、本事件に彼が這入ったと云う事は愈※[#二の字点、1−2−22]本事件を複雑にし有名にしたので、他日支倉が寝返りを打って、その為事件がかく紛糾すると予期していなかった庄司署長や神楽坂署員にとっては厄介千万な事だった。
 静子は一向弁護士の事情などは知らないし、差当り依頼するとすればやはり浅田の助力を受けねばならないので、心が進まぬながらも頭を下げるよりなかった。
「何分宜しくお願いいたします」
「宜しゅうございます。私が引受けますよ」
 浅田は頼もしげに引受けた。
「あの、それで支倉は助かりますでしょうか」
 静子はオズ/\と聞いた。
「さあ」
 浅田は小首を傾けながら、
「どうですか私には分りません。よく弁護士の意見を聞いて見ましょう」
 夫がこのまゝ有罪と決したら、静子はどうしたら好いか。一銭の貯えもない上に子供を抱えて、今は日曜学校の教師を務める事も出来ず、路頭に迷う外はない。悲しい自分の運命を思うと、静子は又新たな涙に誘われてさしうつむいた。
「奥さん、気を落してはいけませんぜ」
 浅田は心配そうに静子ににじり寄った。
 夜は大分更けた。宵の口は静かだったが、いつの程にか風が出たと見え、庭の立木がザワ/\とざわついていた。


          公判

 大正六年九月二十五日、東京地方裁判所刑事部で、支倉喜平の第一回公判が開かれた。
 裁判長は少壮判事宮木鐘太郎氏で、立会検事は小塚氏、弁護人は能勢氏外三名、私訴を提起した二会社の代理人等、所定の席に居流れた。支倉喜平は見るから不敵の面魂で、臆する色もなく被告席に控えていた。当時彼は三十六歳だった。
 裁判長は静かに訊問を始め、法通りに身分職業姓名等を聞き質して、犯罪事実の審理に這入った。
 喜平は既に覚悟を定めたものゝ如く澱みなく裁判長の質問に答えて、片端から犯罪事実を否定して行った。警察署での自白は尽く虚偽なる旨《むね》恐るゝ所なく申述べた。裁判長はうなずきながら微に入り細を穿《うが》って訊問を試み、一先ず閉廷を宣した。それより前能勢弁護人は証拠申請準備の為続行ありたき旨を申請したのだった。
 続行公判は十月四日に開かれた。裁判長以下顔振れには変化はなかった。
 裁判長は支倉と小林貞との関係につき詳細訊問する所があった。能勢弁護人は上大崎空地の古井戸の検証、同共同墓地より掘り出したる頭蓋骨の鑑定、支倉の旧宅出火当時の所轄警察署の調書の取寄せ、神戸牧師以下二十四名の証人の喚問、以上四項の申請をした。裁判長は合議の末頭蓋骨の鑑定、調書の取寄せ、神戸牧師以下八名の証人の喚問等を許可し、他は却下して閉廷した。
 宮木判事は当時少壮有為の司法官だった。本事件審理後彼は長く欧米に遊び、親しくかの地の司法制度を研究して、帰朝後現に司法省内の重要なる椅子を占め、尚外務書記官を兼ねているのでも分る通り英姿颯爽、温容を以て人に接し、辞令企まずして巧で、加うるに頭脳明晰眼光よく紙背に徹する明《めい》のある人だったが、刑事裁判に長たることはこの支倉事件を以て始めとして且つ終りだった。たった一度の裁判に本事件の如き刑事裁判始まって以来の屈指の難事件に当ったのは彼の不幸か将《は》た幸か。加うるに本件の告発者たる神楽坂署長庄司氏は年来の旧知である。審理は慎重の上にも慎重を重ねる必要がある。宮木氏は、実に本件に於て彼の刑事裁判上の智嚢を傾倒して終《しま》ったので、よく本事件を裁断し得たのは、頭脳明晰にして精桿の気溢るゝ如き彼なればこそであろう。庄司署長と云い、宮木裁判長と云い、揃いも揃って、正を踏んで恐れざる斯界勇猛の士に当ったのは、支倉の運の尽きる所だった。
 宮木判事は如何に本件を解決すべきか、日夜沈思した。支倉の罪悪中最も重いのは殺人であるが、之を確認するには先ず被害死体が果して小林貞であるか否かを定めなければならない。被害死体が貞でないとすれば問題は根本から覆《くつがえ》って終う。死体が貞であると決定しても尚自殺か他殺か過失死かいろ/\問題が残るけれども、要するに死体の確認が第一である。予審調書に現われた所では未だ確実と云い難い。こう宮木裁判長は考えた。恰もよし、同じ思いの能勢弁護人より鑑定の申請があったので、忽ち之を許可すると共に、頭蓋骨については一名、着衣の一部である布地については二名の鑑定人を附する事にした。
 十月二十五日続行裁判の劈頭に於て右の鑑定人が呼び出された。
 一人は頭蓋骨の鑑定を命ぜられた斯学に学殖経験深き帝大医科の助手友長医学士で、一人は布地の鑑定を命ぜられた本郷の裁縫女学校長として令名高き田辺氏だった。
 頭蓋骨の鑑定事項は次の如くである。
     鑑定事項
[#ここから2字下げ]
一、大正六年押第二八八号二十八の頭蓋骨につき其者の性、年齢、顔貌の特徴、栄養の程度及び能うべくば死因の鑑定をする事。
特に上顎門上歯が幾分前に出て居りしや否や、下顎犬歯は普通人に比して長きや否や、犬歯の俗称鬼歯と称するものなりや否や。
下顎、犬歯は噛合するとき上顎歯列の前に出ずるや、及び智歯の存否。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]以上

 裁縫女学校長田辺氏に命ぜられた鑑定事項は次のようだった。
     鑑定事項
[#ここから2字下げ]
一、大正六年押第二八八号十五の布地の地質並に地色。
帯に用いられたる布片ありや否や。
帯とせば該布片により見たる帯としての幅如何。
帯とせば腹合帯一片なりや否や。
然りとせば其想像したる原形如何。
毛繻子に折返し其上に片側メリンスを縫付けある(片側全部なりや否やは不明)帯の残片に該当せざるや。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]以上
 鑑定人はいずれも承諾した旨返答をして退廷した。
 尚も一人の鑑定人は高工教授の佐藤氏で、之は四、五日遅れて十月二十九日の公判廷へ呼び出されているのだが、便宜上ここへ併記して置こう。
 この鑑定事項は簡単で
[#ここから2字下げ]
一、大正六年押第二八八号十五の布地の地質、染色、模様等如何。
[#ここで字下げ終わり]
 と云うのだった。
 さて十月二十五日の公判であるが、劈頭呼び出された鑑定人が退廷すると、今度は順次に証人が呼び入れられた。
 第一に入廷したのは例の井戸浚いをした人夫で、裁判長の訊ねるまゝに予審廷に置けると大同小異の返答をした。次に呼び入れられたのは井戸から死体の出た当時、検視した医師である。之も予審廷に於けると同じような陳述をして退廷した。
 次に呼び入れられたのは神戸牧師である。
 神戸牧師は口をへの字に結んで太い眉をきりゝと上げながら、証人席についた。
 彼はこうして公判廷に呼び出されるのを決して愉快には思っていなかった。元より被告と違って、何の罪がある訳ではなく、少しも恥る所はないのであるが、我国の風習では法廷に出ると云う事自身が既に快いものでない。それに裁判長には権柄ずくで訊問されるし、少しでも間誤《まご》つこうものなら厳しく追求せられる。反対の立場にある弁護人から皮肉な質問を浴びせられる事もある。牧師の身としてこんな目に遭う事は一種の侮辱を感ぜざるを得ない。それに証言そのものは支倉の私行上の事に渡り、女を姦したとかそうでないとか云う実に不愉快千万な問題である。
 神戸牧師ほど本事件について甚大な迷惑をした人は他にあるまい。支倉事件では随分いろ/\の人が悩まされたが、そのいずれもは職務上か或は直接事件に関係した人である。神戸牧師に至っては単に貞子の事で支倉と貞子の叔父との間を、それも頼まれて止むを得ず仲裁の労を執っただけなのである。
 所が裁判の上から云うと、彼の証言は実に重大なのだ。井戸から上った死体が貞であると確定しても、次の問題、支倉が果して彼女を井戸に突落して殺したかどうかと云う問題になると、さっぱり動かすべからざる証拠と云うものはない。そこで支倉が果して貞子を殺さねばならぬ切迫した事情があったかどうかと云う事が重大問題になって来るが、この問題になると、支倉対小林の関係を詳細に知っている神戸牧師の証言が非常に有力になって来る。のみならず、彼は支倉の自白の際立会っているのだ。
 神戸牧師にして見れば、証人として立った以上、事実を抂《ま》げて陳述する事は出来ない。又実際彼は殊更に事実を抂げて申述べる事をする人でもなければ出来る人でもない。所が神戸牧師の一言一句は直ちに支
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