して何処へ行ったか。
 答 一と当惑、暫し思案の結果新宿へ行ったと申し立てゝあります。

 支倉の上願書は原稿紙四百字詰に直して、約四十四、五枚、之を半紙へ筆で書いたのだから、その手数さえ一通りではない。それが首尾一貫して字体から行の配りまでキチンとしている。前に述べた通り誤字脱字は殆どない。未決監に閉じ籠められて、暇に飽かして書いたと云い条、その根気には驚かざるを得ない。加うるに神楽坂署に於ける取調の模様を逐一暗記しているのは驚く外はない。
 以下上願書の続きである。
 警 新宿に行って何処で昼食を食べたか。
 答 新宿二丁目の或そばやで二十銭の天丼を食べたと申立てゝあります。
 現にそんなそばやはありません。神楽坂署より直ぐ調べられましたが、わからんのです。殊にその当時病気にかゝっているものが、天丼を食う筈はないのです。脂気のものは淋病には大敵なのであります。
 警 それからどうした。
 答 川安に連れて行ったと申立てようと思いましたが、川安に行っていると申して、直ぐ探偵の結果連れて行き居らぬと云うことが分ると、頭蓋骨との接吻々々。これは困るので一と思案の結果新宿停車場へ連れて行ったと申立たのであります。
 警 そうか、停車場に連れて行きどうしたのか。家に帰るには未だ早いではないか。
 答 そうです。停車場へ待たせておきまして、自分は用達を致しました。
 殺すとしたら大切な玉を、一人停車場に待たせおく筈はない筈です。
 警 それからどうした。
 答 停車場へ戻って来て目黒行き山手電車に乗りました。そうして宅《うち》へ戻りました。
 警 小林貞は何処で殺害する気になったか。
 答 電車の中で殺意を生じました。
 子供ではなし電車で突飛にそんな何ほど鬼だからとて人を殺すなんか恐ろしい心は誰が考えたからとて分ります、起る筈のものではないのです。こゝらの申立ては随分幼稚に出来ているのです。虚偽の申立は先ずこんなものであります。
 警 どうして殺す気になったか。
 答 当惑々々、暫し思案の結果そうですね、荊妻の前があるから宅《うち》へ連れ帰る訳には行かず、それだからとて小林方へ戻す訳にも行かずと申立てゝある筈です。
 荊妻の手前など今更何も憚ることはないのです。荊妻はその一切を承知して居るのですから、又連れ出したからとて小林方へその事情をしか/″\と訴え連れ帰られん訳もないのです。二十五日夕景示談事済みになったものを、何とて連れ出すものですか。
 警 石をつけて入れたのか。薬をのませてコモに包んで入れたのか。
 答 知りません。
 警 知らん筈はない。木の株を入れたろう。
 答 知りません。
 警 そんな事はない、木の株を二つ入れてあるではないか。
 私は入れたのでありませんから知ろう筈はありません。木の株とやら少しも知らんのであります。
 答 入れたのでないけれど、入れたとしましょう。
 警 よし、木の株を何の為に入れたか。死体の浮き上がらぬよう入れたのか。
 答 どうも困りますね。仕方ありません。そうしましょう。
 警察での問答は原稿用紙にして凡そ十一枚、面白く可笑しく書いてある。返答に困った所々は当惑々々と云う文字を挟み、或いは頭蓋骨との接吻、単に接吻々々などと読む人をして思わず失笑せしめる位に軽妙に書いてある。
 余裕|綽々《しゃく/\》と云おうか、捨鉢と云おうか、云い逃れるに道なき殺人の罪に問われている人とは思われない。

 支倉は大正六年六月十九日附で全精力を傾倒して、半紙に細々と認めた長々しい上願書を古我予審判事に提出して、神楽坂署の拷問を訴え、繰返し貞子を殺した覚えの更にない事を哀訴したのは前掲の通りである。(こゝで鳥渡奇異の思いのするのは、後に支倉が獄中で悶々遂に縊死を遂げたのが、大正十三年六月十九日で、即ちこの上願書提出の日と月日共に一致する事である)上願書中には全然排斥して終う事の出来ない節があり、判事も無下《むげ》に退ける事が出来ないかと思われたが、彼が未決監で大福餠々々と連呼して気狂いを装うた事や、合監の者に五千円を与えると云う証書を与えて、殺して呉れと頼んだり、その事が又自殺の宣伝のように取れたり、或いはクルリ/\と陳述を変えて見たり、何一つとして予審判事に好感を与えていないので、予審の結果は最早望み少きものになった。
 それに彼は上願書で繰り返し訴えて、大正二年九月二十五日示談事ずみとなりその以後、小林兄弟には絶対に会わないと云っていたのに、上願書提出の八日後小塚検事に証拠をつきつけられて詰められると、忽ち恐れ入って、
「私が今まで金百円の授受は九月二十五日と主張して居った事は誤解に基いて居るもので、事実は九月二十六日の夜であったに相違ありませぬ」
 と述べた。その結果、小林貞の行方不明になった九月二十六日の日の行動を第二の上願書にいと明細に「同日は明治学院より三一神学校を経《へ》、浅草に行き花屋敷へ入り米久牛肉店にて夕飯を食し、帰宅したのであります」
 と述べたてゝいるのを、忽ち訂正しなければならぬようになった。即ち小塚検事に次の如く答えている。
「私は金銭授受の日を二十五日に繰上げて、故意に弁解の材料にした訳ではありません。私は二十六日には前晩貞の件が済んだので、安心して浅草へ行ったりして終日遊んで帰宅したように申しましたが、それも事実と相違して来るようになりますが、故意に偽りを申しましたのではありません。私はそう誤解して、間違いを申立てたのです」
 即ち支倉は彼が小林貞子を殺害したと一旦自白して置きながら、後に之を飜して、自白が全然虚構であると云う証明の為に申立てた重要な三点、当日清正公前に電車が開通していなかったと云う事、貞の事件の解決は九月二十五日であって、その以後小林兄弟に会っていないと云う点、二十六日は浅草で終日遊んだと云う申立の三つは尽く再び自ら翻《ひるが》えすに至った。或いは支倉は身に覚えなき大罪が到底振り払う事が出来ない羽目となり、狼狽の極あれこれととりとめのない弁解を試みたのかも知れない。けれども以上の事実は決して判官に好い心証を与えるものではない。
 小塚検事は最後に神戸牧師を喚問して、支倉の自白当時の事を聞き質した。
「私は支倉が当局へ送られる前、神楽坂署に呼び出されまして」
 神戸牧師は答えた。
「支倉に面会いたしましたが、同人は真実悔い改めた様子で私に後事を宜しく頼むと申しました。私は心さえ改めれば宜しいから、潔く罪に服せよ、後事は他に託する人がなければ自分が責任を負うて世話してやると申しました所、同人は落涙して感謝して居りました」
 最後の取調を終って、小塚検事の決意は少しも変らなかった。彼は古我予審判事に対し、
「予審決定に付意見書」
 と題し放火殺人以下八罪につき東京地方裁判所の公判に附するの決定相成しものと思料する旨、理由書と共に提出した。
 大正六年七月二日、支倉喜平は有罪と決し、こゝに予審は終結した。
 殺人放火の大罪でありながら、本人の自白以外の物的証拠は乏しい。而も本人は自白を否認しようとしている。支倉は果して有罪か。公判はいかに展開するのであろう。


          宿業

 支倉の妻静子はスヤ/\と寝入っている我子の寝顔を打守りながら、じっと物思いに沈んでいた。涙は夙《つと》に流し尽したので、涸き切った両方の瞼は醜く腫れ上っているのだった。今宵は特に薄暗く感ぜられる電燈がガランとした部屋の天井から、彼女の寂しい姿を照し出して、薄汚れた畳に影法師を吸いつかせていた。
 蒸し暑い宵だった。
 彼女が心の休む暇もなく、涙に暮れているうちに、世はいつの間にかもう夏めいていたのだった。一枚だけ明け放した雨戸の隙から型ばかりに吊ってある檐《のき》の古簾の目を通して、梅雨明けのカラリと晴れ上った空に一つ二つ星がキラめいているのが見えていた。
 今年の二月計らずも刑事に踏込まれてから、凡そ半年足らずの間に何と不幸の数々が続いた事であろうか。彼女はその僅《わずか》ばかりの間に十年も年を取って終ったような気がするのです。
 喜平との七年の結婚生活は夢のようだった。十九の年に双親《ふたおや》の勧めるまゝに、処女の純潔を彼に捧げてから今まで、必ずしも幸福に充ちてはいなかったけれども、彼女は夫に愛を持ちながら信仰の生活を続ける事が出来た。それに夫が彼女に対する愛情は、時に執拗、時に空虚に感じる事はあったけれども、並々ならぬものであった。総括的に云うと、彼女は結婚後間もなく儲けた一子を中にして、夫と共に可成幸福な道を歩む事が出来たのだった。
 それが長い七年の後、思いがけなくも一朝にして潰《つい》えて終《しま》ったのだった。
 夫が彼女と結婚する以前に既に前科を四犯も重ねていようとは夢にも思っていない事だった。基督《キリスト》教の信者であると云うので、深い調査もしなかったのではあるが、又仮令前科があっても悔改めた上は立派な人格に再生する事は十分出来る事ではあるけれども、神楽坂署で夫の前科を云い立てられた時には、彼女は自分の身体を裸にして曝《さら》されたよりも、浅間しく感ぜられたのだった。
 彼女は結婚後夫の品行が必ずしも正しくないと云う事は直ぐ悟った。勉学の都合から暫く別居していた時や、又彼女が郷里に帰っていた時などに、一、二の女と兎かくの噂のあった事を聞いていた。殊に夫が忌わしい病気に罹った上、それを年端も行かない女中の小林貞に感染させた事を知った時には、よしそれが女中の叔父の云うように手籠めにしたのではないとしても、どんなに情なく感じた事か。然し彼女はこうした夫の不始末にも、彼女が一部の責任を連帯しなければならぬ事を忘れなかった。彼女は夫を寛容すると共に、世間にこの事の洩れないように、数々の苦心をしたのだった。
 が、何事ぞ。夫は貞子を連れ出して古井戸に沈めて殺したと云うではないか。
 神楽坂署で鬼のような刑事達に責め問われて、苦しい思いをしたけれども、そして夫に対していろ/\な悪評を聞いたけれども、彼女は尚夫を信ずる事を止めなかった。真逆そんな大罪を犯していようとは思えなかった。
 署長の口から喜平がすっかり自白したと云う事を聞いた時に、彼女の総身の血汐は忽ち凝結して終った。危く倒れようとするのを踏み堪えた彼女の努力は殆ど超人的だった。
 然し、彼女は署長から夫の自白を聞かされて、彼に面会を許されるまでに、すっかり冷静を取戻す事が出来た。彼女はすっかり覚悟を極めた。夫との間には既に一子がある。夫がいかに大悪人であっても、信仰の道に這入っている自分が今更に取乱すのは恥かしい、夫を慰め励まして後顧の憂えのないようにしよう。こう彼女は決心した。そうして彼女は懺悔の涙に濡れている夫の姿を、心静かに見上げる事が出来たのだった。

 静子は作りつけの人形のように微動だにしないで考え続けていた。
 夫が未決に繋がれてからの彼女の辛苦は一通りではなかった。予審廷へも度々呼び出されて、判事から辛辣な訊問をせられるし、附近の人々には嘲笑の眼で見られるし、それに弱味につけ込んで、親切ごかしに騙《かた》りに来る者や、強請《ゆすり》に来る者があった。親類縁者も誰一人助けて呉れるものはなく、稀にそんなのがあっても物質上の援助の出来るものはなかった。只写真師の浅田は時折訪ねては慰めて呉れるけれども、以前の事もあり何か胸に一物ありげで、打解けて心から彼を迎える事は出来なかった。
 そんな訳で彼女の一番苦しんだのは金の調達だった。其日々々の暮しには何程の事もいらないとしても、未決監にいる夫への差入、代書人や弁護士に支払う高と云うものは少からぬものだった。それを女手で、ましてや今は世間から指弾されて、近づく人もない時にどうして生み出す事が出来よう。身の廻りのものを一つ売り二つ売りして支えるより仕方がなかった。
 彼女の何よりの頼みは今住んでいる家だった。之を売れば纏まった金が手に這入り、有力な弁護士に依頼する事も出来ると考えたので、内々周旋屋に相談して見ると千五百円なら買手があると云う事
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