ろ/\の犯人を調べた。中には強情なのがあって、容易に白状しないのがあったが、結局はみんな恐れ入ったよ。事実犯した罪を最後まで知らないと云い張れるものではないのだ。どうせ事実を云わねばならぬとすると、早い程好いよ。裁判に廻っても非常に得だし、それに君の自白が長引けば長引く程、妻子も長く困る訳だよ」
「君の云う事は能く分る」
 支倉はうなずきながら、
「僕だって覚えがあるなら無論云う。こんな所にいつまでも入れられているのは苦痛だし、妻子の事を思うと身を切られるより辛い。本当に何も知らぬからいくら問われても之以上は答えぬ。早く裁判に廻して呉れ」
「じゃ、君は飽くまで知らぬと云い張るのだな」
 根岸は調子を変えてグッと支倉を睨んだ。
「そうだ」
 支倉は根岸の炯々《けい/\》たる眼光に射られながら、跳返すよう答えた。
「よしっ」
 根岸は突立上った。
「僕はもう何も云う事はない。之から先、君がどんな苦しい眼をみようと僕は構わぬ。君がもし僕の云った事に思い当ったら、一言根岸に会いたいと云い給え、じゃ又会おう」
 こう云い棄てゝ根岸は部屋の外へ出た。
 今までジリ/\していた渡辺刑事は、髑髏を片手に支倉の前ににじり寄った。

 夜は次第に更けて行く。
 こゝは浮世を外にした別世界。名を聞くさえ、気の弱い者は顫え上る刑事部屋である。髑髏を片手に支倉に迫った渡辺刑事の身辺からは正に一道の凄気が迸《ほとばし》った。
「支倉、貴様はいかに冷静を装って、知らぬ一点張りで通そうとしても、そうは行かぬぞ。貴様が何一つ疚しい所がないのなら、何故最初から堂々と出て来て云い開きをせぬ。逃げ廻ったと云うのが身に覚えのある証拠だ。それに、逃げ廻るさえあるのに、その間にした貴様の所業の数々は誰が見ても貴様は悪人とよりは思えぬ。その上、聖書の窃盗、放火、暴行傷害など歴然たる証拠が上っている。貴様は一番罪の重い殺人罪から逃れたいのだろうが、之も動きの取れない被害者の屍体の出た今日、どう云い開こうとしても詮ない事だ。貴様は何故この分り切った犯罪を一時も早く白状して、お上の慈悲を仰ごうとせぬのだ。貴様はどうあっても、この髑髏に覚えがないと云うのかっ」
 先刻からの続けざまの訊問に興奮して来た支倉は、独特の大きな濁声《だみごえ》で叫んだ。
「知らぬ、知らぬ、何と云われても知らぬ」
「知らぬ事があるものかっ」
 渡辺刑事は怒号した。
「之は貴様の可愛がった女の髑髏だ。さあよく見ろ」
 渡辺刑事は髑髏をピタリと支倉の顔に押しつけた。
 支倉が何事か叫ぼうとすると、部屋の入口がガラリと開いて、ぬっと這入って来た人がある。
 それは庄司署長だった。
 署長は柔道で鍛え上げたガッシリとした長身をノッシ/\と運びながら、喜怒哀楽を色に現わさないと云う不得要領なボーッとした風で、何気なく刑事達に声をかけた。
「おい、どうしたい。未だ片はつかんのか」
「はい」
 石子は固くなりながら、
「未だ自白いたしません」
「そうか」
 彼は軽くうなずいたが、支倉の方を向いて、
「おい、君、未だ片がつかんそうじゃね」
 夜はもう余程更けている。花には未だ早いが折柄の春であり、宵のうちには一段の賑いを見せていた神楽坂の通りも、今は夜店もチラホラと通る人も稀であろう。風こそ吹かね、底冷えのする寒さは森々として身に染みる。火の気のない冷たい部屋で長時間続行訊問せられる支倉は身から出た錆とは云いながら憐である。
「おい、君、早く本当の事を云って終《しま》ったらどうだね」
 署長は黙っている支倉に促すように云った。
 支倉はじっと自分よりは七つ八つ若いと思われる署長を見上げた。

 後に支倉が獄中で書いた日記を見ると、この神楽坂署の取調を想起して、
「十二時の鐘がゴーンと鳴ると、署長が亡者を責む地獄の鬼のように、ノッソリと現われる」
 と書いてあった。
 この事について神楽坂署が裁判所へ出した報告には、
「取調の都合上時に夜に到るまで訊問を続行し、十時過ぎに至れる事あり」
 とあった。そのいずれが正しいか知る由もないが、兎に角、時の神楽坂署では夜遅くまで訊問を続行した事はあったらしい。支倉が、
「十二時の鐘がゴーンと鳴ると」
 云々と書いたのは多少修辞上の言葉で、必ずしも署長が鐘の音を合図に現われたものではないと思われる。支倉が果して殺人罪を犯していたかどうか。それは神聖なる裁判に待つよりないが、彼が他に悪事を働いている事は疑う余地がない。傲慢な彼に対して取調べが峻厳を極めたのも止むを得ないであろう。
 さて、署長の訊問振りはいかに。

「おい君、貞ちゅう女はどこに隠したんだ。未だ考えがつかんかね」
 庄司署長は、赤味のある丸顔に強度の近眼鏡の下から割に小さい眼をしばたゝかせながら、迫らず焦らず悠然と訊問を始めた。
「隠した覚えがないから考えつく訳がないです」
 流石に支倉も対手が署長であるだけ、幾分言葉遣いも丁寧である。
「隠した覚えがないと云っても、そりゃいかんよ。君があの女の為に金を強請《ゆす》られるようになって、うるさがっていたと云う事は蔽うべからざる事実じゃからね。じゃ君はあの女はどうして行方不明になったと思うのだね」
「そんな事はよく分りませんが、多分叔父の定次郎がどうかしたんじゃないでしょうか」
「どうかしたとは?」
「どっかへ売飛ばしでもしたんでしょう」
「ハヽヽヽ、君は妙な事を云うね。あの定次郎と云う男は女の為に好い金の蔓にありつけた訳じゃないかね。折角の金の蔓をまさか端《は》した金で売飛ばしもしまいじゃないか。それよりも君こそあの女は邪魔者だ。病院の帰りに誘拐してどこかへ売飛ばしたのだろう」
「決してそんな事はありません」
「よく考えて御覧」
 署長はじっと支倉を見詰ながら、
「君は知っている事をすっかり話して終《しま》わないうちはこゝは出られないよ。ね、聖書を盗んだ事はもう証拠歴然として動かす事は出来ないのだ。それだけで君は検事局に送られ、起訴になるに極《きま》っている。それでだね、潔《いさぎよ》く外の事も云って終ったらどうだね。いずれ予審判事が見逃す気遣いはなし、今こゝで白状した方が余程男らしいがね」
「犯した罪なら白状しますが、知らぬ事は申せません」
 支倉は荒々しく答えた。
「ふん、それがいけないのだ」
 署長は調子を稍強めた。
「君が知らない筈がないからね、君がそうやって頑張っているうちは、罪もない細君まで共々厳重に調べられるのだ。君が口を開かなければ細君の口を開かすより仕方がないからね」
「家内は何にも知りません」
 支倉は叫んだ。
「君は今家内は何にも知らないと云ったね」
 署長は念を押すように云いながら、
「そうかも知れない。然し家内は知らないと云ったね。家内は知らないと云う位だから君は無論知っている事があるのだね、早くそれを云い給え。細君はすぐ家に帰すから」
「――――」
 支倉はきっと唇を結んで、物凄い表情をした。こうなったら彼は容易なことで口をひらかないのだ。
「おい、黙っていちゃ分らないじゃないか。早く本当の事を云って、こんなうるさい訊問を二度と受けない様にしたらどうだ。一時も早く裁判に廻って、潔く服罪した方が好いじゃないか。僕も職掌上出来るだけ君の罪が軽くなるようにしようし、君だって相当の財産があるのだから、後に残った妻子は別に困りゃしまい。え、どうだい」
 署長は諄々として説いた。手を替え品を替えと云う言葉があるが、支倉のような頑強な拗者《すねもの》にかゝっては全くその通りにしなければならぬ。署長はどうかして支倉の口を開かせようと思って、子供でも扱うように騙したり賺《すか》したりして責め訊ねた。署長には元より他意はない。当時の支倉も知らぬ存ぜぬと突っ張りながらも、署長の訊問には可成感銘したのであろう。それは後の彼の自白に徴しても知られる。
 然し更にその後呪いの鬼になった彼が、此署長の訊問中の不用意な片言隻語を捕えて、いかにそれを利用したか。読者諸君は一驚を喫せられる時があるであろう。
「お話はよく分りました」
 支倉はぬっと頭を上げた。
「よく考えて見ますから今日は寝さして下さい」
「うむ」
 寝さして呉れと云う支倉の言葉に、署長は暫く考えていたが、
「よし、今日の取調は之で終ろう。明日又訊ねるから考えて置くが好い」
 午後から引続いた長い訊問は之で終った。

 支倉は淋しい独房で破れ勝ちな夢を結ぶ事になった。
 翌朝も快い春めいた空だった。人々は陽気に笑いさゞめきながら、郊外に残《のこ》んの梅花や、未だ蕾の堅い桜などを訪ねるのだった。忙しそうに歩き廻る商店街の人達さえ、どことなくゆったりとした気分に充ちていた。
 独房に閉じ込められた支倉喜平には、然し春の訪れはなかった。彼を自白せしめようと只管《ひたすら》努力している警吏達にも、春を味わうような余裕はなかった。真四角な灰色の警察署の建築の中はあわただしいものではある。
 この朝は神楽坂署の内部は、何となく憂色に閉ざされていた。
 司法主任の大島警部補が急に病が革《あらた》まったのである。
 彼が病を押して身を挺して支倉の訊問に当っていた事は前に述べたが、昨日は殊に気分の勝れなかったのを無理に出署したのだが、出署して見れば支倉を取調べずには居られない。で、刑事達の留めるのも聞かず訊問を始めたが、忽ち興奮して終って持病の心臓をひどく痛めて終った。帰宅するとそのまゝバッタリ斃れて終ったのであった。
「大島主任はどうもいけないらしいです」
 真蒼な顔をして署長室に這入って来た石子は、署長の顔を見つめながら云った。
「えっ」
 物に動じない署長も流石《さすが》に驚駭の色を現わして突立上った。
 大島主任が昏々として無意識状態となり、食塩注射によって、辛じて生死の間を彷徨しているその日の午後、石子、渡辺両刑事は又もや支倉を留置場から引出した。主任の弔合戦である。二人は初めから殺気立っている。
「おい、支倉、どうしても云わないか」
 渡辺刑事は息巻いた。
「こうなったら根比べだ。貴様が先に参るか、俺が斃れるか。何日でも訊問を続けるばかりだ」
「支倉、幾度も云って聞かせる通り」
 石子刑事も噛みつかん許りに呶鳴った。
「貴様のした事は明々白々なのだ。知らぬ存ぜぬで云い張ろうとしても無駄な事だぞ」
 然し支倉は容易に自白しようとはしなかった。
 午後の日は次第に傾いて漸く薄暮に及んだが、訊問は未だ止まなかった。刑事部屋の堅く閉ざされた扉を通じて、時々刑事の怒号する声が外に洩れ聞えた。
 日もトップリと暮れはてた時分刑事部屋の扉が開いて、蒼白い顔をした支倉がぬっと現われた。背後には油断なく両刑事が従っている。彼は便所へ行く事を許されたのだった。
 この時の支倉の気持はどうであったろうか。
 彼は今恐ろしい犯罪の嫌疑を受けて、日夜責め問われている。彼の行動は充分そんな嫌疑を蒙るに足るのだ。
 既に読者諸君も御存じの通り、数々の証拠が挙っている。が、然しその証拠は嫌疑を深めるだけの力はあるが、動かすべからざる確定的のものはないと云って好い。それだからどうしても彼を自白させなければならない。所が、彼は証拠の薄弱なのを知ってか、容易に口を開かない。之まで名だゝる強《したゝ》か者を子供のように扱った警吏達も、すっかり手こずって終った。今は乃木将軍が旅順を攻め落した時のように遮二無二、口をこじ開けてゞも白状させようとしているのだ。流石の支倉もヘト/\になりながら便所に這入った。
 石子、渡辺両刑事はじっと外に張番《はりばん》をしていた。

 便所に這入った支倉は中々出て来なかった。
 拘留中の嫌疑者が間々便所から逃走する事があるので、窓にはすっかり金網が張ってあるし、殊に大切な嫌疑者だから両刑事が爛々たる眼を輝かして見張をしているのだから、とても逃走などと云う事は出来ない。彼は今休む暇なき思いを、あわれ便所に暫しの安息を求めているのだろうか。それにしても少し長過ぎる。
 渡辺刑事は待ち切れないで外から声をかけると、中からは
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