合せた。

 石子刑事の意外な報告に署長は思わず司法主任と顔を見合せたが、やがて静かに云った。
「君、そう興奮してはいかん。もう少し落着いて委《くわ》しく話して見給え」
「はい」
 石子は余りに狼狽《うろた》えた自分の姿を少し恥じながら、
「先刻大崎の墓地から白骨になった死体を発掘して、鑑識課へ持って行きました事は主任から御聞きの事と存じます。私は一人残りまして結果を待って居りました。恰度居合せました医者は小首を捻りながら、
『どうも可笑しいぞ。之は女の死体じゃない』
と申して居りましたので、少し心配して居りますと、所へ外の用件で見えた帝大の大井博士が御出になりまして、じっと暫く見て居られましたが、
『君、之は男の骨だよ。而も老人だ』
と云われたのです。外の人と違って、博士の鑑定せられたのですから絶望です」
「うん、そうか」
 署長はうなずきながら、
「つまり掘った死体が間違っていたのだね。問題の池田ヶ原の井戸から上った死体が男だったと云う訳ではないだろう」
「はい」
「そうすればその井戸から上った女の死体は墓地のどこかに埋まっている訳じゃないか」
「はい。そうです。高輪署の記録が違っていなければ、あの墓地のどこかに埋まっている筈です」
「高輪署の記録が違っている筈がないじゃないか。現に君を案内した人夫も三年前にそういう死体を扱った事を認めたじゃないか」
「はい。然し彼の覚えていた場所を掘った所が老人の死体が出て来たのです」
「然し」
 署長は押被せるように云った。
「人夫がそう正確に場所を覚えていた訳じゃないだろう。一間や二間、どっちへ狂ったって分りゃしない」
「それはそうですけれども」
 石子は当惑したような表情をしながら、
「そう云う当てずっぽの掘り方では果して問題の死体であるかどうかと云う事は証明が非常に面倒になります」
「面倒になったって埋っているものなら掘り当る事が出来るさ。それに大体見当がついとるじゃないか」
「それはそうですけれども」
「もう一度掘るさ。どうだね大島君」
「そうですね」
 主任は答えた。
「も一度掘るよりありませんね。このまゝ止める訳にも行きますまい」
「埋めた死体がないと云う筈はない。掘り当てるまでやるさ。それとも君は」
 署長は石子の方を向いて、
「諦めたとでも云うのかね」
「いゝえ、そうじゃないのです」
 石子は稍力強く答えた。
「署長殿がお許し下されば何回だって掘ります。然しその結果ついに目的の死体が判明しなかった場合には問題になりますから、寧ろ今私がお咎めを蒙って、辞めようかと思ったのです」
「辞めるなんて云う程の大きな事じゃないじゃないか。君は今三年前の殺人で殆ど証拠が湮滅しかゝっている大事件の探査にかゝっとるのじゃないか。之しきの事にめげてどうするのだ」
「はい」
「間違いは間違いだ。大いに遣《や》り給え」
「そう云って頂くと私も非常に心強いのです」
 石子は感激しながら、
「遣ります。大いに遣ります」
 石子は決心の色を面に浮べて、一礼すると勇気凜々と云う足取りで戸口に近づいた。
 署長はその有様を快げに見送っていたが、何を思ったか声をかけた。
「あゝ、君、石子君、鳥渡待ち給え」

 戸口から出ようとする所を呼び止められた石子刑事は微に不安の色を浮べながら戻って来た。
「何か御用ですか」
「うん、墓地の発掘の時には僕も行こう」
「えっ」
 石子刑事は驚いて署長の顔を見上げた。
「僕も行って立会おう。その方が好い」
「然し署長殿」
 主任は口を出した。
「あなたが行かれて、もし――」
「今度間違うと動きが取れなくなると云うのだろう。何全部俺が責任を負うさ。俺には失敗したからって部下の罪にするような卑怯な事は出来ない。だから出ても出なくても同じなのだ。俺が一緒と云う事は石子君を励ます上に於ても効果がある筈だ」
「それはそうです」
 主任はうなずいた。
「じゃ、明日みんなで出かける事にしよう」
「然し」
 主任は尚気が進まぬように、
「今度失敗すると、永久にこの事件は闇から闇に葬られて検挙が出来ません」
「君は失敗の事ばかり心配するじゃないか」
 署長は叱責するように云った。
「仮令《たとえ》三年前埋葬した屍体だって、実際埋めたものならない筈もなし、又、それと証明の出来ない筈はない。警察官がそう引込思案では駄目だ。我々はこの世から悪人を根絶すると云う任務を持っている。その為には悪人を検挙して法官の前に差出さねばならん。悪人がいつまでも、明白な証跡を我々に提供して呉れない以上、我々は時々冒険を敢てしなくてはならん。見込捜索と云う事は無論ある程度まで危険を伴う。然しそう/\いつでも証拠の歴然とするのを待って検挙を始めると云う訳には行かんじゃないか」
「それは御説の通りです」
 主任は静かに答えた。
「じゃ、ひとつ我々は、確信を持って支倉の旧悪を立証すべき証拠物件の蒐集にむかおうじゃないか」
「承知いたしました」
 大島司法主任は答えた。
「私も何も徒《いたずら》に消極主義を称える訳じゃないのです。署長殿がそう云う御決心なら、大いに気強い訳です。必ず死体を探し出しましょう」
「宜しい、では明日は墓地に僕も行く」
 署長はきっぱり云い切ったが、言葉をついで、
「それから君、支倉の検挙を一日も早くしなければならんぞ。逃走後既に三、四週間にもなっている。然も彼は今尚毎日のように警察に宛て、愚弄嘲笑の限りを尽した手紙を寄越すではないか。実に横着極まる奴だ。一日も早く捕えねばならん」
「その点は御安心下さい」
 主任は云った。
「浅田の取調べが調子よく進んでいます。遠からず彼の居所が判明するでしょう。実は石子君に早くその方に廻って貰いたいのですが、死体発掘と云う重要な事の為に遅れているのです」
「私も一時も早く支倉逮捕の方に廻りたいのです。彼は私に対して一方ならぬ侮辱を加えているのです」
「うん、そうだ。君はどうしても彼を捕えねば男が立たんのだ。大いに君に期待しよう」
 署長は大きくうなずいたが、やがてきっとなって、
「では、兎に角明日は一同揃って墓地に出かけ、目的の死体を掘り出すとしよう」
「承知いたしました。では一切の準備をいたして置きましょう。それから君」
 主任は石子刑事に向って、
「今日掘って来た死体は明日元の所へ埋めなければならんね」
「そうです」
 石子は答えた。
「明日出かける時に持って行く事としましょう」
 大島主任と石子刑事は署長に一礼して立上った。二人の顔面には堅い決心の色が溢れていた。
 あゝ、彼等は果して三年前の埋葬屍体を発掘し、支倉の旧悪を発《あば》き得るや如何に。

 屍体発掘に失敗した大島司法主任、石子刑事を初め神楽坂署員一同の不安と焦燥のうちにその夜は明けた。
 翌朝も前日のように暗雲低く飛んで時に薄日の差すような陰鬱な日だった。前日の大型自動車には新しく乗り込んだ庄司署長が中央に構え、誤って掘り出した白骨の棺と共に、時に砂塵を上げ、時に泥土を跳飛ばしながら、大崎の墓地を目がけて疾駆した。
 昨日の失敗に懲りた石子刑事は案内役の人夫に事の次第を簡単に話した末、もう一度埋葬箇所[#「箇所」は底本では「筒所」]を熟考するように命じた。
「たしかに昨日掘った辺りだと思いますがね」
 人夫は皺だらけの渋紙のような顔に困惑の色を浮べながら、
「事によるともう少し左寄りだったかも知れません。ようがす。もう一度掘り返しましょう」
 そう云って人夫は墓地の中程に進んで、昨日掘り返した跡のすぐ隣の地点を指し示した。
「今度はこの辺を掘って見ましょう」
 人夫の後に従った石子刑事は少し遅れて大股に歩んで来る署長の方に振り向いた。
「こゝをもう一度掘らして見ます」
「宜かろう」
 署長は大きくうなずいた。
 はっしと許《ばか》りに人夫はショベルを軟かい赤土に突込んだ。
 周囲に立った署長初め三、四の警官は黙って人夫の手の動くのを見守っていた。
 穴は次第に大きく開いた。
 ショベルから勢いよく一塊りの赤黒い土が投げ出されると、バラ/\と細かい黄ろぽい土塊が代りに穴の中へ転げ込んだりした。
 やがて穴の底には昨日のように白骨の一部が現われ出た。石子刑事は息を殺して白骨が次第にその全部を現わして来るのを見つめていた。
 掘り出された白骨は殆ど完全に骨ばかりになっていた。棺も着衣も腐朽して殆ど痕跡を止めない程だった。只屍体の背部の恰度屍体の下敷になっていたと思われる部分に、少しばかりボロボロになった布片が残っていた。
 石子刑事は注意深くその布片を地上に拡げて見た。布片は二重になっていて、下敷になっているのは帯の一部らしく、上側のは着物の一部らしかった。帯と思われるものは黒ぽい色で、割に幅の広いものゝ一部と思われた。石子刑事は見る/\喜色を現わして、不安そうに白骨を眺めている大島主任を呼びかけた。
「司法主任殿、之は女帯の一部らしいですよ」
「成程、君の云う通りらしいね」
 司法主任はじっと布片を眺めながら、
「こっちの方は着物らしいが、色がすっかり褪せて終《しま》ってよくは分らないけれども、何か模様があるようだね」
「地もメリンスらしいじゃありませんか」
「うん、どうもそうらしい」
「そうすると」
 石子刑事はいよ/\面を輝かしながら、
「服装の点が問題の死体に一致します。おい、君」
 彼は人夫の方を振り向いて、
「女は模様のあるメリンスの着物に黒い繻子の帯をしめていたと云ったね」
「えゝ、そうです」
 人夫はうなずいた。
「それが恰度小林貞の家出当時の服装に一致するのです」
 石子は主任に向って云った。
「じゃ」
 先刻から黙って石子の話を聞いていた署長は始めて少し微笑みながら、
「之に違いないのだね」
「はい」
 石子は署長の方に向き直った。
「之に相違ないと思います」
「うん」
 署長は満足そうに、
「白骨の寸法から見ても少女らしく思われる。宜しい、之を持って引上げよう」
 署長の命令の下に昨日の老人の白骨は元の穴に埋られ、棺の中には新たに掘出した白骨が収められた。


          曙光

 二回目に発掘して来た白骨が小林貞と判明したか、自殺か他殺か区別がついたか、その鑑定の結果は後に述べる事として、一度神楽坂署の刑事部屋を覗いて見る事にしよう。
 三尺の頑丈な戸口の外には出入する所のない、十畳敷ばかりのガランとした刑事部屋は、二方の窓から受入れる光線で割合に明るいが、誰でもこの部屋に入れられて、物凄い眼つきの荒くれ男に取巻かれて、鋭い質問を浴せかけられたら、怯じ恐れないものはないであろう。況《ま》して少しでも後暗い事のあるものは縮み上って、恐れ入るのが当然である。然し中には強情なしたゝか者があって、時には刑事達の手荒い取調べにも頑強に屈しないものがある。写真師浅田の場合はそれだった。
「それでは何だね、君はどうしても支倉の居所を知らないと云うのだね」
 根岸刑事は大抵の人間ならその一睨みで、震え上って終《しま》いそうな冷いギロリとした眼でじっと対手を見据えた。
「知りません」
 渡辺刑事初め二、三の刑事達に取巻かれた浅田は、浅黒い顔の些《しさゝ》か血の気は失せていたが、平然として答えた。
「好い加減にしろ」
 根岸刑事は責めあぐんだように、
「いつまで隠していたって仕方がないじゃないか。君が支倉の居場所を知らないと云う筈がないじゃないか」
「何と云ったって、知らないものは知りません」
「ふゝん、未だ頑張るんだね。君は毎日のように支倉と文通していたじゃないか」
「文通はしていました。然しそれは大内と云う写真館を中に置いての事で、直接に文通していた訳ではありません」
「だからさ」
 根岸刑事は押被せるように、
「その中に置いている家を云えと云うんだ」
「大内の方が発《ば》れて終ったので、別の所を拵《こしら》えて知らせると云う事になったきり、何とも云って来ないから、今どこに居るのか少しも分らないのです」
「馬鹿を云え。その打合せはちゃんとすんでいる筈だ。君は支倉がど
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