め》の蔭からニョッキリ立上った男があった。二重廻しを着た小柄な、一見安長屋の差配然とした中年の男で、眉深《まぶか》に被った鳥打帽子と襟巻とで浅黒い顔の大部分は隠れていたが、鋭い眼がギョロリ/\と動いていた。彼は何食わぬ顔で静子を追跡し出した。
 彼女は尾行者のある事には少しも気づかないで、通りに出ると電車には乗らず、目黒の方へ歩いて行った。無論怪しい男は追って行く。
 彼女が目黒駅に辿りついて切符売場の窓に向うと、怪しい男は彼女の真後に食っついて蟇口を開いて待構えていた。
「中野往復を下さいな」
 彼女は小窓を覗くようにして云った。
 彼女は切符を受取るとさっさと改札口に向った。もう少し悠《ゆっく》りしていれば彼女の直ぐ後から、
「中野片道一枚」
 と叫んでいる怪しい男に気がついたであろうが、彼女は何事か深く考えている様子でそんな事には少しも気がつかなかった。
 プラットホームに降りて電車を待つ間も、電車に乗り込んでからも、代々木駅で乗替えの間も、怪しい男は絶えず静子と適当の間隔を保ちながら、鋭く彼女を観察していた。
 中野駅で電車が止まると静子はそゝくさと降りた。怪しい男も無論続いて
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