かったわ。お医者さんが二十二、三と鑑定したと新聞に出ていたよ」
もしやお貞の死体ではないかと乗気になって聞いて見たが、年が恰《まる》でちがうので岸本はがっかりした。
「私が見に行ってた時には」
お篠は思い出したように云った。
「支倉《はせくら》の旦那が丁度居てね」
「えっ、支倉さんが」
「そうなの、二人でね、見た所は若そうだが可哀想な事をしたものだって話合ったっけ」
「支倉さんも態※[#二の字点、1−2−22]《わざ/\》見に来たのですか」
「さあ、態※[#二の字点、1−2−22]だったか、通りがかりだったか、そんな事に覚えはないさ」
「兎に角、身投なんて嫌な事ですなあ」
余り支倉の事を問い過ぎて悟られてはならずと、岸本は態と話をはぐらかした。
「本当に嫌なこったよ」
おかみは顔をしかめたが、
「あゝ、大変だ、すっかり喋っちゃって夕方の支度をしなくっちゃ」
岸本は一人になって又せっせと仕事をしていると、主人が帰って来た。彼はちらりと岸本の仕事をしているのを覗くと、そのまゝ奥の居間に引ッ込んだ。
「お帰り」
お篠は台所から声をかけた。
浅田はどっかと火鉢の前に腰を下すと、
「お篠」
と不機嫌な声で呼んだ。
「なんですか」
お篠は前掛で濡れた手を拭きながら現われた。
「今度来た書生には気をつけろ」
浅田は低い力の籠った声で、お篠の顔をじっと見ながら云った。
「何ですって」
「俺の留守なんかに、ペチャクチャ詰らん事をあいつに話すなと云うんだ」
「な、何ですって」
お篠は顔色を変えた。
「私がいつペチャクチャ詰らん事を話しました」
「話したとは云やしない。話すなと云うんだ」
「人を馬鹿にしている」
お篠は呶鳴り出した。
「手前こそ用もないのに支倉の奥さんの所へ行って、ペチャクチャ喋ってばかりいる癖に」
「おい/\、大きな声を出すな」
「大きな声で云われていけないような事を何故するんだ」
お篠は未だ怒号を止めない。
「そして人の事ばかり云ってやがる。私が何をしたと云うんだ」
「おい/\、勘違いをしちゃいけないぜ」
浅田は困ったような顔をして宥《なだ》めた。
「俺はたゞ岸本に気をつけろと云ったきりだよ」
「大きにお世話だよ。私が何をしようと」
お篠は顔を脹《ふく》らした。
浅田は苦笑いをしながら、どうやらお篠を宥めると、夕食をすませて二階に上った。そして一隅の机に向って何やら書き始めた。
やがて書き終ると封筒に入れ上書を書いて、のそ/\と下に降りた。
下では待構えていたように岸本が声をかけた。
「先生、お出かけですか」
「あゝ、ちょっとそこまで」
岸本は目慧《めざと》く浅田の持っている手紙に目をつけて、
「先生、郵便でしたら私が出して来ましょう」
「何、いゝんだ」
浅田はそう云い棄てゝ外へ出た。
岸本は主人の姿が見えなくなると脱兎の如く身を飜えして二階に上った。彼は主人の机の傍へ寄ると忙しく何か探し始めた。机の上、鍵のかゝっていない抽斗《ひきだし》の全部を一つ一つ改めて、そして注意深く又元通りにした。
やがて落胆したように彼は呟いた。
「ふむ、中々用心深い奴だ。どうも見当らない」
そのうちにふと彼は机の上の一枚の吸取紙に気がついた。よく見ると、松下一郎様と云う文字が微かに左文字に見える。肩書の所番地も飛び/\に読めそうだ。
「しめたぞ」
岸本は嬉しそうに呟いた。
「初めの字は確に『本』だぞ。ハテ、本郷かな、本所かな、あゝ二字目は少しも分らない、それから米か知らん。それとも林かな上の方がかすれているのでよく分らないな。次の字は川らしいな、町の字はハッキリ分るんだが、それから最後が『館』らしいな、あゝ、写真館だ、さては松下一郎と云う奴は写真館にいるのだ。何写真館かしら。あゝ、たしかに『内』と云う字は読めるのだが、山内かしら大内かしら、うむ、『本』『川』『町』『内』写真館、あゝ、どうかしてもう少し読めないかな」
岸本がいら/\しながら吸取紙を眺めていると、下でお篠の呼ぶ声がした。
「岸本さん、岸本さーん」
「ちょっ困るな」
岸本は地団駄を踏んで、吸取紙を横|睥《にら》みに睨んで、おかみの呼ぶ声に気を取られながら、腹立たしそうに呟いた。
「岸本さん」
お篠はそう呼びながらミシ/\音をさせて二階に上って来た様子。岸本は残念ながらつと机の傍を離れて梯子段の口許に近寄った。
「何ですか、おかみさん」
「何をしてるの、岸本さん」
「別に何にも」
「そう」
漸く上りついたおかみは岸本の顔を見上げながら、
「主人《たく》が何か云ったかい」
「いゝえ、何にも」
「そう。そんなら好いけれど」
「何ですか、おかみさん。先生は少し可笑しいですぜ」
「どうして?」
「どうしてたって、秘密に手紙をやりとりして居ら
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