きっと素直に出頭に応じないに違いない。こんな考えで石子刑事の頭は暫く占領された。
岸本青年の依頼を受けると、石子刑事は翌日神田神保町の書店を訪ね歩いた。二、三の書店で、彼は問題の卸元で未だ市場に出さない聖書が販売されている事を確めて、其出所を調べると、支倉喜平という宣教師の手からである事が分った。彼は支倉の容貌の特徴など委《くわ》しく聞いた上、直ぐに横浜へ向った。
途々《みち/\》彼は考えた。盗まれた書籍の量は相当大きいから、到底手などで提げられるものではない。必ず車で運び出したものに違いないとすると停車場の車を利用したと見るべきであろう。然し、彼等は口留をされているかも知れないから、先《ま》ず聖書会社の附近でそれとなく聞いて見るが好い。そう思った彼は桜木町の駅から真直に山下町の日米聖書会社に向った。
会社の直ぐ筋向うに一軒の車宿《くるまやど》があったので、それとなく聞いて見ると、通常こう云う所では後のかゝり合いになるのを恐れて、容易に口を開かないものであるが、意外にも輓子《ひきこ》達は口を揃えて進んで事実を話して呉れた。
彼等の云う所によると、殆ど日曜毎に宣教師風の男が駅の車で会社に乗りつけて、締っている口を開けて這入り、沢山の書物を積んで帰ると云う事である。容貌を聞くと全く神田の書店で聞いた支倉の容貌に一致するのだった。輓子達が進んで話したのは支倉がいつも駅の車を利用して、自分達の車に乗らない為の不平が手伝っているのだった。
石子はその足で聖書会社を訪ねた。会社の書記は勉めて問題に触れたくないようだったが、書籍の盗難については渋々肯定したのだった。
白昼堂々と車を駆って盗みに這入る彼の大胆さを思って、石子刑事は支倉その人を見るように門札をうんと睨んだ。
支倉喜平の門標をうんと睨みつけた石子刑事は、つか/\と門内に這入った。
取次に出た女中に彼は慇懃《いんぎん》に云った。
「先生は御在宅でございましょうか」
「はい」
女中は眩しそうな顔をして彼の顔を見上げた。
しめたと思った彼は、その嬉しさを少しも顔に現わさないで、肩書のない石子友吉と云う名刺を差出しながら、
「こういう者でございますが、是非先生にお目にかゝって、お教えを受けたいと存じますが、御都合いかゞでございましょうか」
一礼をして引下った女中はやがて首尾いかにと片唾《かたず》を呑んでいる石子の前に現われた。
「どうぞお通り下さいまし」
第一の難関は見事に突破された。彼はホッと息をついた。
通されたのは奥まった離座敷だった。六畳敷きほどの広さの小ぢんまりとした部屋は床の間の基督《キリスト》受難の掛軸や、壁間の聖母《マリア》の画像や違棚の金縁背皮の厚い聖書らしい書物など、宣教師らしい好みで飾られていた。
やがて、ノッシ/\と現われて来たのは中肉中背ではあるが、褞袍《どてら》姿の見るからに頑丈そうな毬栗《いがぐり》頭の入道で、色飽くまで黒く、濃い眉毛に大きな眼をギロリとさせた、中世紀の悪僧を思わせるような男だった。
書店や車宿で大凡《おおよそ》の風貌を聞いて想像していた石子刑事も彼を見ると稍たじろいだ。もし初対面で彼を見る人があったら誰が彼を宣教師と思う人があるだろうか。
「先生でございますか」
石子刑事は聞いた。
「支倉です」
彼は上座にむずと坐って爛々たる眼を輝かした。
「実は私は警察の者です」
石子刑事は寸刻の隙を与えず、然し平然と彼を見やりながら、
「玄関でそう申しては召使いの人に対して御迷惑と存じましたので態《わざ》と申上げなかったのですが」
「はあ、警察の方が何の用事があるのですか」
流石《さすが》に少し狼狽の色を見せながら彼は答えた。
「実は牛込神楽坂署の署長が是非あなたにお会いしてお聞きしたい事がありますので、私に署までお伴《つ》れするようにと云いつかったのです」
小兵ながらも精悍の気の全身に漲《みなぎ》っている石子刑事は色白の顔に稍赤味を帯びさせて、丸い眼を隼のように輝かせながら、否か応か、大きな口をへの字に結んでいる支倉の顔をきっと仰ぎ見た。
鳥渡《ちょっと》狼狽の色を見せた支倉は忽《たちま》ち元の冷静な態度に帰って、梃《てこ》でも動かぬと云う風だった。
「警察へ行くような覚えは更にないが、何か聞きたい事があればこちらへ来られてはどうですか」
彼の声は身体に相応《ふさわ》しい太い濁声《だみごえ》で、ひどい奥州訛りのあるのが、一層彼をいかつく見せた。
「ご尤もです」
石子はうなずいて見せた。
「然し署長は何分多忙な身体ですから、お出でが願えると好都合なのですが」
「もし嫌だと申したらどうするのですか」
「それは大変困るのです。是非どうか――」
「一体どう云う用事なのですか」
「それは私に分りませんのです」
「
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