、度々刑事の来訪を受けるし、家の周囲にも絶えず監視の眼が光っているようだったので、日曜学校の生徒も遠退き、こちらからも遠慮するようになって今は訪ねる人もなく、彼女も只管《ひたすら》謹慎して、滅多に外出しないのだったが、今日は朝方荷物を飯倉一丁目の高山――それは信者の仲間だった――の家に送り出して終《しま》うと、気分がすぐれないように襟に顔を埋めてじっと一間に坐っていた。
さらでだに少人数には広過ぎた家は夫なき今、小女一人を対手では恰も空家にでも住んでいるようにガランとしていた。
昼食後も亦元の所に坐って茫然《ぼんやり》薄日の差す霜解けの庭を眺めていたが、三時を過ぎると物憂げに立上って、気の進まぬように着物を着替え初めたのだった。
彼女がキチンとした身装《みなり》をして蒼ざめた顔を俯向けながら、門の外へ出たときは、かれこれ四時だった。
二、三歩門の前を離れると、彼女はきっと頭を上げて鋭く四辺《あたり》をグルリと見廻して、人影のないのを見きわめると、又トボトボと歩き出した。
然し彼女は誤っていたのだった。
彼女が安心して歩き出すと、隣の家の勝手口に置いてあった大きな埃溜《ごみため》の蔭からニョッキリ立上った男があった。二重廻しを着た小柄な、一見安長屋の差配然とした中年の男で、眉深《まぶか》に被った鳥打帽子と襟巻とで浅黒い顔の大部分は隠れていたが、鋭い眼がギョロリ/\と動いていた。彼は何食わぬ顔で静子を追跡し出した。
彼女は尾行者のある事には少しも気づかないで、通りに出ると電車には乗らず、目黒の方へ歩いて行った。無論怪しい男は追って行く。
彼女が目黒駅に辿りついて切符売場の窓に向うと、怪しい男は彼女の真後に食っついて蟇口を開いて待構えていた。
「中野往復を下さいな」
彼女は小窓を覗くようにして云った。
彼女は切符を受取るとさっさと改札口に向った。もう少し悠《ゆっく》りしていれば彼女の直ぐ後から、
「中野片道一枚」
と叫んでいる怪しい男に気がついたであろうが、彼女は何事か深く考えている様子でそんな事には少しも気がつかなかった。
プラットホームに降りて電車を待つ間も、電車に乗り込んでからも、代々木駅で乗替えの間も、怪しい男は絶えず静子と適当の間隔を保ちながら、鋭く彼女を観察していた。
中野駅で電車が止まると静子はそゝくさと降りた。怪しい男も無論続いて降りた。
静子は足を早めた。短い冬の日はもう傾きかけて、冷い夕方の風が頬を硬張らせるように吹いた。彼女は通りから横丁に這入り、左に折れ、右に曲って細々《こま/″\》した家が立並んで、時に埃の一杯散かっている空地のある新開地らしい路を縫って行く。やがて一軒の西洋風の鳥渡した木造建築の前に立止ったが、直ぐその中へ消えた。
怪しい男はその家の前でピタリと止った。
標札には中野同仁教会、ウイリヤムソンとあった。
怪しい男は教会の前をブラ/\往ったり来たりして、中の様子を覗った。生憎《あいにく》日が未だ暮れ切らないで、通行人も相当あったし、疑われないようにするには余程骨が折れた。と云って四辺《あたり》に身を隠す蔭もなかった。
「ちょっ、おまけに粗末ながらも洋館と来てやがるので、中の様子が少しも分らない。いっそ中野署へ電話をかけて応援を頼もうか」
と怪しい男は呟いた。
彼は神楽坂署の根岸刑事だったのである。彼は支倉の家から荷物を運び出したと云う事を聞いた時に、小首を傾けた。夜分人知れずやるのなら兎に角、白昼車を引出しては人目を惹くのは知れた事、直ぐに送先を嗅ぎ出される位の事は支倉は知っている筈である。但し、こっちで油断していると思って、そっと運び出して知合の家にでも預けて置いて、気のつかないのを確めた後に受取にでも行く計画か、そんなら態とこっちも気がつかない風をして対手を油断させ、それとなく家を警戒していて、ノコ/\受取りに来る所を捕えるのが上分別である。何にしても直ぐに飛び込んで行くのは考えものだと思ったが、渡辺刑事が功をはやって聞き入れそうもないので、それはそれとして彼は支倉の宅へ出かけて見張っていたのだった。と云うのは手品師の右の手の動く時は左の手に気をつけよと云うように、荷物を運び出してその方に注意を向けようとしたとすれば、宅の方が怪しいと睨んだのである。果して彼の推察通り細君の外出となったのであるが、注意深い彼は細君を尾行する際に、も一人の刑事にちゃんと家を警戒させて置いた。荷物で釣出し、細君で釣出して、その留守に悠々と支倉が乗込むかも知れないと思ったからである。
根岸刑事は相変らず教会の前を往来《ゆきゝ》しながら考えた。
中野署に応援を頼むのも好いがその間に逃げられては何にもならぬ。踏込んで行くのには確実な証拠を掴まないと、殊に対手は外国人の家であ
前へ
次へ
全108ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
甲賀 三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング