の教師小林氏の自宅を訪ねた。
 面長の頬骨の出た生活に疲れたような小林氏は、乱雑に古ぼけた書物の積上げてある壁の落ちた床の間を背にして、眼をしばたゝきながら、ポツリ/\と話した。
「仰せの通りあれが行方不明になりましたのは丁度三年前です。この頃はもう諦めましてな、成る可く思い出さないようにしているのです。
 貞子は長女です。兄が一人ありますが、之はお恥かしい次第ですが、すっかりグレて終《しま》いましてな、結局あなた方の御厄介になるのではないかと心配しています。弟の方は只今中学に参って居ります。妹はまだ小学校です。あれは内気な病身と云った性質だったものですから、それに御覧の通り貧乏ではありますし、学校を中途で引かせまして、幸い世話して呉れる人があって、支倉さんへ行儀見習いと云う事で差出したのでした」
 陰気な部屋でそれに電燈も暗かったが、小林氏の話振りには何かこう陰惨な所があって、引入れられるような気がするのを不思議に思っていた石子は、ふと気がつくと、小林氏の黒ずんだ歯並びの悪い歯の中で上の二本の犬歯、俗に云う糸切歯が勝れて長く、それが口を開く度に異様な妖怪じみた印象を与える為だった。
「所が」
 小林氏は一向そんな事に気づかないで相変らず異様な犬歯をチラつかせながら、
「全く以て思いもかけぬ事でした。尤も娘は身体は大きい方でしたが、何を云うにも十六と云う年ですし、支倉さんは宣教師と云う教職に居られるのですし、間違いがあるなどとは夢にも思っていませんでした。それが」
 小林氏はこゝで鳥渡《ちょっと》言葉を切って、云い憎そうにした。
「そんな風の事を鳥渡聞きました」
 石子刑事はやはりそうだったのかと思いながら、小林氏に気易く話させるように、態《わざ》と事もなげに云ったのだった。
「もう、お聞きでしたか。お恥かしい次第です」
 小林氏の話によると貞子は支倉の為に暴力をもって辱かしめられたのだった。そして忌まわしい病気を感染された為に働く事が出来なくなり、暇を貰って知合の家から病院通いをしなければならなかったのだった。流石《さすが》の石子も只《たゞ》あきれて聞く許《ばか》りだった。
「三年前の一月末でした。夜遅く貞を預けてあった知り合の家から使がありまして、貞はこっちへ来てないかと云うのです。だん/\わけを聞きますと、朝いつもの通り病院へ行くと云って出たきり帰って来ないので、病院初め心当りは皆訪ねたけれども、どこへも立寄った形跡がないと云うのです」
 それから小林氏の方でも手を分けて、訪ね廻ったが、一向手懸りがない。無論置手紙もないし、はがき一本寄越して来ない。警察へも捜索願を出したが、杳《よう》として消息がないのだった。
「死んだものと諦めているのです」
 小林氏は眼を瞬きながら、
「子供心にも恥しいとでも思いましたか、投身でもしたのでしょう」
「そのお知合と云うのはどう云う関係なんですか」
「貞を支倉へ世話をして呉れた人でしてね。貞が治るまでの費用は支倉の方で出すと云う事になっていたので、中に這入って貞を預かって呉れたのでした」
 小林氏の話振が陰気なのと、ニョッキリ出た犬歯が何となく容貌を奇怪に見せるので、暗い電燈が段々暗くなるような気がするのだったが、石子刑事は尚も熱心に問い質《たゞ》した。
「立入って聞きますが、その辱しめられた事や病気をうつされた事などは当人からお聞きでしたか」
「後には本人にも云わせましたが、初めに気づきましたのは私の弟なのです。こいつは誠に手のつけられない奴で、酒から身を持ち崩して今は無頼漢《ごろつき》同様になって居ります。誠に重々恥しい事ばかりです。こいつが、無論私の所へも毎度無心に参りますが、貞の支倉に居た時分には時々その方へも無心に参ったのです。で、蛇《じゃ》の道は蛇《へび》とやら云って、悪い奴ですから悪い事には直ぐ気がつきます。貞を威しすかしてすっかり様子を聞いたのです。それから奴は度々支倉さんの所へ出かけて、無心を吹きかけたようでした」
 支倉を強請《ゆす》って金にするとは上には上があるものだと感心しながら、石子刑事は膝を進めた。
「その弟御さんと云うのは東京にお出《いで》ですか」
「えゝ、神田に居るのですが」
 困った事を耳に入れたと云う風で、小林氏は後を濁した。
「御住所を教えて頂けませんでしょうか」
 刑事の依頼に今更取消す訳にも行かず、呉々《くれ/″\》も弟の不利益にならないようにと頼んだ末、小林氏は住所を委《くわ》しく話した。石子はこれを書留めて家を辞した。いつの間にやら大分夜が更けていた。
 翌朝石子刑事は神田三崎町に小林定次郎を訪ねた。
 変にゴミ/\したような感じのする横丁を這入って行くと、軒の傾きかけたような車宿《くるまやど》があった。
 そこの二階の一室に彼はいたのだった
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