れば能勢氏只一人黙然として控えていた。
 被告支倉喜平は別に身体の拘束は受けなかったが、物々しや警部一名、巡査四名、都合五名の警官に取巻かれて所定の席に着いていた。彼は法廷で怒号咆哮する許りでなく、時に証人等に打ってかゝる事があるので、かくは厳重に警戒せられたのである。
 裁判長は咳一咳、之より審理を更新すると告げ、例によって被告の氏名年齢等を順次に問い質し、次で証拠調べに移った。
 記録には次の如く書かれている。
「裁判長は証拠調べに移る旨を告げ、当院第一回公判調書に記載したると同一の各証拠書類及同公判調書記載を読みあげ、押収物件並に検証調書添附図面及記録等を示し、其都度意見弁明を求めたるに、被告はすべて当院第一回公判調書記載と同一の答弁をなせり。
 裁判長は決定に基き証人を訊問すと告げ、召喚に応じ出頭したる庄司利喜太郎を入廷せしめたり」

 六尺豊か鬼とも組まんずと云う庄司氏は威風満廷を圧しながら堂々と入廷した。彼は正に意気軒昂、邪は遂に正に勝たずとの信念何人も動かすべからず、気既にさしもの兇悪なる支倉を呑んでいるようであった。
 彼は支倉と正に咫尺《しせき》の間に着席を命ぜられた。
「僕だからまあ好かったけれども」
 庄司氏は後に人に語った。
「兎に角警官が五人もついていようと云う兇暴な奴のすぐ傍に着席させるちゅうのは、少し不都合だね、人に依っては、思う所を十分云えないかも知れんじゃないか。現に刑事には飛掛っているんだからね」
 支倉は庄司氏の顔を見ると異様な眼でジロッと一睨みしたが、つと横を向いて終った。
 庄司氏は裁判長の訊問の儘に臆する所なく、ズバ/\と信ずる所を披瀝した。
 支倉を検挙するに至った径路、死体其の他動かすべからざる証拠についての弁明、支倉の自白等について、証人は澱みなく答えた。殊に自白の場面のいかに荘重なりしか、彼と神戸牧師及彼の妻との間に交された会話等につき詳細に述べた。
 庄司氏が裁判長の訊問に答えているうちに、支倉はジリ/\と彼の方に詰め寄って、殆ど身体を接する位になった。警戒の巡査は支倉が乱暴を働く様子がないと見たか、別に止めようともせず、只遠巻きに眼を光らしていた。庄司氏はすぐ隣に接して支倉の息遣いを聞きながら、落着き払って裁判長に答弁をしていた。
「庄司さん、どうぞ本当の事を云って下さい」
 突如として支倉は脅迫の手紙の上に於ける傲岸兇悪の態度に似もやらず、いと細き声を出して哀訴した。彼は遂に庄司氏に正面より敵すべからざる事を知ったのであろうか。それとも思い邪《よこ》しまなるものは遂に正しきものに面を向ける事が出来ないのであろうか。
 裁判長は終始厳正の態度を持しつゝ、不動産を売却する事につき尽力したる事ありや、四十通余の文書を隠したる事実ありや、被告に自白を強いるため骸骨を接吻せしめたる事実ありやと畳かけて質問した。
 庄司氏は断乎としてそのいずれをも否定した。書類云々の事は全く虚構の事実で、支倉が放火事件につき高輪署の刑事に贈賄して有利な調書を作製せしめたのだったが、数多き書類の中のそれだけが偶然紛失したので、支倉は恰も自分に有利な書類を尽く隠したように曲言したのであって、該書類は被告の考える如き重要なものでなく、のみならず其他の書類は全部提出してある旨を答えた。
 庄司氏の答弁の間支倉は絶えず哀願するような態度で、
「庄司さん、どうか本当の事を云って下さい」
 と低声で云い続けていた。
 裁判長の訊問が一通り済むと、能勢弁護人は裁判長の許可を得てきっと証人を睨み据えながら、鋭い訊問を投げかけた。
「喜平に対して最初嫌疑をかけたのは窃盗と詐欺と云う事であるが、詐欺とはどう云う事実か」
「窃盗につき調べているうちに詐欺の事実が現われたのである」
「支倉は誰か告訴したものがあったか」
「いや、聞き込みであった」
「二月十九日より三月十八日頃まで一ヵ月に亘っているが、此間被告をどう云う理由で留置したか」
「浮浪罪であったか、虚偽の陳述によったか、警察犯処罰令によったと思う」
「いや、それは処罰する目的でなく被告に対して殺人と云うて留置したのではないか」
「それについては確な記憶はない。仮りに云われる通りであったとしても、答弁の必要を認めない」
 以上が能勢氏の追究に対する庄司氏の答弁の最初の一節であるが、見らるゝ通り殺気立ったものだった。能勢氏の辛辣なる質問に対し庄司氏は明快簡単に之を報いたのだった。
 両氏応答数次、長時間に亘って漸く終ると、裁判長は証人神戸牧師出廷せざるにより、公判を続行し、次回を来たる六月三十日と定めて閉廷を宣した。


          絶望

 公判廷を出て東京刑務所に護送される途すがら、自動車の中で支倉は顔面蒼白、或いは痛恨し、或いは憤懣し、意気頗る上らなかっ
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