はなくても、云わずにすめば支倉の迷惑は軽減すると考えていたに相違ない。
けれども結局云わねばならなくなったから、彼の一旦拒否した事は偶※[#二の字点、1−2−22]《たま/\》彼の証言に重きを加える事になって終った。
被告の利益を代表する能勢弁護士、何条黙すべき。
神戸牧師の証言重々しく、被告にとって一大事と見た能勢弁護士は直に立って、裁判長に向って証人の質問を試みたき事を要求した。
裁判長は能勢氏の欲するまゝに証人に対して質問を許した。
「只今証人の言の如く暴行云々と云う事になると、重大問題であるが、これについて被告の謝罪方法はどんな事であったか」
之は能勢弁護士の第一問である。
「それは」
牧師は弁護士を尻目にかけながら、
「小林兄弟に対して謝罪状を認める事と、本人の病気を治療する事の二つです」
「証人又は小林兄弟に於て、私通と主張するなら被告を告訴すると云った事があったか」
「私には立派に暴行なる旨自白したのですから」
牧師は冷かに答えた。
「そんな問題は起りません。然し、被告は小林兄弟に対しては私通なる旨主張していたようでした」
能勢弁護士はこゝに質問を打切った。長追いは無用である。今の証人の答弁で暴行云々と云う事が小林兄弟に於てさ程問題にされていなかったと云う印象を裁判官に与える事が出来たら、それで成功なのである。
神戸牧師の訊問は之で終りを告げ、次で小林兄弟、高町医師其他数名の証人が引続き取調べられた。
最後に裁判長は被告に向って、今までの証人並に参考人の陳述につき、意見、弁明、反証等はないかと聞き質した所、被告支倉はなしと答えたので、その日は閉廷となり続行する事となった。
十月二十七日には宮木判事は放火の疑いのある旧支倉宅の実地検証を行った。
十月二十九日十一月八日に夫々続行公判があり、専《もっぱ》ら聖書窃盗に関する証人の訊問が行われた。
その間中央気象台より貞の行方不明になった大正二年九月二十六日の天候の回答が来ていた。すべ/\した洋紙にペンの走書だが、最後の行に「月明なし」と云う句が冷たく光って見えた。月明があれば少くとも当夜如何に原中でも兇行が行い難いと云う消極的の反証にはなるものを「月明なし」ではとりつく島もない。
十一月に這入ると、先に下命した鑑定の結果が続々判明して来た。鑑定書はいずれも微に入り細を穿ち、頗る浩瀚《こうかん》なものであるが、こゝには結論を挙げるだけに止《とゞ》めて置こう。布地に関する鑑定は次の如くである。
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鑑定
別封第一 片側は濃き納戸地に茶色の模様ある友禅モスリン地片側は黒色の毛繻子地よりなる昼夜《ちゅうや》女帯の一部
別封第二 別封第一の濃き納戸地に茶色の模様ある友禅モスリン地と等しきものなり
別封第三 肉色又は白茶色の地合に赤若しくは金茶色の花様の模様ある友禅モスリン地
別封第四 桃色地に赤色の模様ある友禅モスリン地よりなる縫紐の一部
別封第五 別封第三の布地と等しきものなり
別封第六 モスリン地及黒色毛繻子の緯糸並に鋏
大正六年十一月七日
[#ここで字下げ終わり]
以上は高工教授佐藤氏の鑑定で、田辺裁縫女学校長の分は次の通りである。
[#ここから2字下げ]
鑑定
以上詳記せる如くにして、之を要するに黒色繻子に藍鼠鹿子形|捺染《おしぞめ》メリンスの腹合《はらあわせ》帯にて幅九寸内外長さ八、九尺にして、片側は全部黒毛繻子、片側は黒毛繻子を折返し、不足分に接ぎ合せたるメリンスを縫いつけたるものにして、之を黒毛繻子を内側に二つ折にして締め居りたるものと推定す。
大正六年十一月十日
[#ここで字下げ終わり]
死後六ヵ月を経て井戸から出た死体を、三年間土中に埋没した後掘り出して、色も褪せボロボロになって原形を止《とゞ》めない着衣の一部の切れ地から、立派に元の状態が推測出来る科学の力は驚く外はない。而もその服装が小林貞子の家出当時の服装とピタリと一致しているのだ。因縁と云うものゝ恐ろしい事は、貞子が普通ありふれた服装をしていたのなら、又見極める事もむずかしかったであろうが、彼女は田辺校長の鑑定で分る通り、誠に特異な帯を締めていたので、僅に残った帯地が彼女を確認する手段となった。
之も支倉の運の尽きる所であろう。
彼女が特異な帯を締めていたと云う事は、死体の上った節、検視した品川署の警部が、三年後の今樺太は真岡《まおか》支庁に転任していたが、東京地方裁判所の委嘱により、同地方の判事が取調べたが、彼はこう云っている。
「帯は普通の女帯では勿論なく、又細紐でもなく、若干巾広の女の用うる細帯でした。何分時が経つので、すっかり忘れて終いましたが、帯が普通の女帯でなかった事だけははっきり覚えています」
友長医学士の
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