に帰った。
 翌日の午後、石子刑事が署に出ると、又しても書留速達の分厚い手紙を受取った。
「又かい」
 根岸刑事がにや/\しながら聞いた。
「執拗《しつこ》い奴だね」
 傍にいた大島主任が云った。
「あゝ、そう/\。君の持って来た写真は複写して、今朝各署へ配付したよ」
「そうでしたか」
 石子は簡単に返事をして、静に手紙の封を切った。予期した通り中には嘲笑的な文句が充満していた。
「はがき有難うよ。十万円は用意してあるから、いつでも取りに来いよ」
 と云う文句に突当ると、石子は鳥渡首を傾けたが、急に頓狂な声を出した。
「あいつは留守宅と連絡しています」
「何だって?」
 主任が驚いたように聞いた。
 石子は口早に十万円云々で腹立まぎれに留守宅へはがきを出した事を話した。
「その返辞が来たと云う訳だね」
 根岸刑事は暫く腕を組んで考えていたが、
「もう一度写真屋の浅田を召喚しなければならぬ」
「一度喚んだのですか」
 石子が聞いた。
「うん、君が奔走している間に一度喚んだのだがね、旨く云い抜けて中々本当の事を云わない。あいつも相当喰えない奴だよ。思う所があって態《わざ》と帰宅を許したのだがね。彼奴《きゃつ》の行動については渡辺刑事が気をつけている筈だよ」
「支倉の奴が私の宅の近所へ来たんですよ」
 石子は思い出したように云った。
「交番で私の住所を調べやがってね。近々私の宅を訪ねると云うので女房は震え上っているんですよ。ハヽヽヽ」
 この時扉が開いて一人の巡査が顔を出した。
「司法主任、電話です」
 急いで出て行った大島警部補はやがて興奮した面持で帰って来た。
「北紺屋《きたこんや》署からだ」
 彼は早口に云った。
「今朝配付の写真に該当する人物が、先般来度々同署へ出頭したそうだ」
「何、なんですって!」
 根岸と石子の両刑事は同時に叫んだ。

「確にあなたの云われる通りの男です」
 若い巡査はうなずいた。
 石子刑事は北紺屋署の陰鬱なジメ/\した一室で彼に相対していた。
「三度来たと思います」
 巡査は続けた。
「何でも車掌の不注意で電車から転がり落ちて、その為に腕に繃帯をしていましたし、医者の証明書見たいなものも持っていました」
「で、損害賠償でも取ろうと云うのですか」
 余りの人もなげな振舞に石子刑事は唇を噛みながら聞いた。
「そうなのです。どうしても電気局|対手《あいて》に損害賠償を取るんだと云って、非常な権幕でした。然し私の見た所では大した傷でもないようだし、告訴までして騒ぐ程の事もなかろうと、穏かに示談にしたらいゝだろうと勧めたのです」
「それでどうしました」
「いや実に執拗い男でね、警察は誠意がないとか、弱いものをいじめるとか、喚き立てましてね、閉口しました。然し結局告訴するにはいろ/\面倒な手続きがいる事が分ると渋々帰って行きました」
 何と云う大胆不敵な奴だろう。逃亡中のお尋ね者の身体で、例え所を隔てた他署とは云え、警察署へ堂々と出頭して、而も強硬な態度で喚き立てたりしたとは!
 石子刑事は云う所を知らなかった。
 若い巡査は気の毒そうに云った。
「そんな奴と知れば勿論捕えるのでしたが、少しも知らなかったものですから。それにしても警察へ出て来るなんて、実に驚くべき奴ですね」
 石子刑事は頭をうなだれて北紺屋署を出た。
 帰署して委細を司法主任に報告すると、主任は口惜しそうに云った。
「もう少し早く写真が手に這入ると、捕まったんだなあ」
 根岸刑事は無表情な顔をして黙っていた。
 石子は根岸の冷然とした態度が少し癪に障ったけれども、考えて見ると写真の事に気がつかなかったのは全く自分の落度だから仕方がない。彼は面目なげに頭を掻いた。
「どうも相すみませんでした」
「何、失敗は成功の母さ。君がそれだけ経験を得た事になるのさ。ハヽヽヽ」
 司法主任は磊落《らいらく》に笑ったが、直ぐに語気を変えて根岸を省みながら、
「然し何だね。これ位大胆不敵な奴は珍しいね。之が無学な奴なら前後の考えもなく無茶でやったと云う事が出来るかも知れんが、奴は充分学識があるのだからね、全く警察を軽蔑しているのだよ。電車から落ちて腕を少し怪我した位で、お尋ね者の身体で損害賠償を取りに警察へ出て来るとは随分好い度胸だね」
「人を舐《な》めた奴ですよ」
 根岸は相変らず冷然と答えた。
「実に人を食った奴だ」
 石子刑事は独言のように叫んだ。彼は支倉に愚弄されている自分の哀れな姿を思うと、腹立たしさに堪えなかった。今に見ろ! と心の中で叫んでいた。
 突然扉が開いて、蒼い顔をした渡辺刑事がよろめくように這入って来た。
「ど、どうしたんだ」
 流石の根岸も驚きながら聞いた。
「逃がしたのです。あの写真師を――彼奴《あいつ》は又支倉の家へ行きました。出て来
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