いのです。二十五日夕景示談事済みになったものを、何とて連れ出すものですか。
警 石をつけて入れたのか。薬をのませてコモに包んで入れたのか。
答 知りません。
警 知らん筈はない。木の株を入れたろう。
答 知りません。
警 そんな事はない、木の株を二つ入れてあるではないか。
私は入れたのでありませんから知ろう筈はありません。木の株とやら少しも知らんのであります。
答 入れたのでないけれど、入れたとしましょう。
警 よし、木の株を何の為に入れたか。死体の浮き上がらぬよう入れたのか。
答 どうも困りますね。仕方ありません。そうしましょう。
警察での問答は原稿用紙にして凡そ十一枚、面白く可笑しく書いてある。返答に困った所々は当惑々々と云う文字を挟み、或いは頭蓋骨との接吻、単に接吻々々などと読む人をして思わず失笑せしめる位に軽妙に書いてある。
余裕|綽々《しゃく/\》と云おうか、捨鉢と云おうか、云い逃れるに道なき殺人の罪に問われている人とは思われない。
支倉は大正六年六月十九日附で全精力を傾倒して、半紙に細々と認めた長々しい上願書を古我予審判事に提出して、神楽坂署の拷問を訴え、繰返し貞子を殺した覚えの更にない事を哀訴したのは前掲の通りである。(こゝで鳥渡奇異の思いのするのは、後に支倉が獄中で悶々遂に縊死を遂げたのが、大正十三年六月十九日で、即ちこの上願書提出の日と月日共に一致する事である)上願書中には全然排斥して終う事の出来ない節があり、判事も無下《むげ》に退ける事が出来ないかと思われたが、彼が未決監で大福餠々々と連呼して気狂いを装うた事や、合監の者に五千円を与えると云う証書を与えて、殺して呉れと頼んだり、その事が又自殺の宣伝のように取れたり、或いはクルリ/\と陳述を変えて見たり、何一つとして予審判事に好感を与えていないので、予審の結果は最早望み少きものになった。
それに彼は上願書で繰り返し訴えて、大正二年九月二十五日示談事ずみとなりその以後、小林兄弟には絶対に会わないと云っていたのに、上願書提出の八日後小塚検事に証拠をつきつけられて詰められると、忽ち恐れ入って、
「私が今まで金百円の授受は九月二十五日と主張して居った事は誤解に基いて居るもので、事実は九月二十六日の夜であったに相違ありませぬ」
と述べた。その結果、小林貞の行方不明になった九月二十
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