六日の日の行動を第二の上願書にいと明細に「同日は明治学院より三一神学校を経《へ》、浅草に行き花屋敷へ入り米久牛肉店にて夕飯を食し、帰宅したのであります」
 と述べたてゝいるのを、忽ち訂正しなければならぬようになった。即ち小塚検事に次の如く答えている。
「私は金銭授受の日を二十五日に繰上げて、故意に弁解の材料にした訳ではありません。私は二十六日には前晩貞の件が済んだので、安心して浅草へ行ったりして終日遊んで帰宅したように申しましたが、それも事実と相違して来るようになりますが、故意に偽りを申しましたのではありません。私はそう誤解して、間違いを申立てたのです」
 即ち支倉は彼が小林貞子を殺害したと一旦自白して置きながら、後に之を飜して、自白が全然虚構であると云う証明の為に申立てた重要な三点、当日清正公前に電車が開通していなかったと云う事、貞の事件の解決は九月二十五日であって、その以後小林兄弟に会っていないと云う点、二十六日は浅草で終日遊んだと云う申立の三つは尽く再び自ら翻《ひるが》えすに至った。或いは支倉は身に覚えなき大罪が到底振り払う事が出来ない羽目となり、狼狽の極あれこれととりとめのない弁解を試みたのかも知れない。けれども以上の事実は決して判官に好い心証を与えるものではない。
 小塚検事は最後に神戸牧師を喚問して、支倉の自白当時の事を聞き質した。
「私は支倉が当局へ送られる前、神楽坂署に呼び出されまして」
 神戸牧師は答えた。
「支倉に面会いたしましたが、同人は真実悔い改めた様子で私に後事を宜しく頼むと申しました。私は心さえ改めれば宜しいから、潔く罪に服せよ、後事は他に託する人がなければ自分が責任を負うて世話してやると申しました所、同人は落涙して感謝して居りました」
 最後の取調を終って、小塚検事の決意は少しも変らなかった。彼は古我予審判事に対し、
「予審決定に付意見書」
 と題し放火殺人以下八罪につき東京地方裁判所の公判に附するの決定相成しものと思料する旨、理由書と共に提出した。
 大正六年七月二日、支倉喜平は有罪と決し、こゝに予審は終結した。
 殺人放火の大罪でありながら、本人の自白以外の物的証拠は乏しい。而も本人は自白を否認しようとしている。支倉は果して有罪か。公判はいかに展開するのであろう。


          宿業

 支倉の妻静子はスヤ/\と寝入ってい
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