に待っていた市電気局からの回答が来た。
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本月二十八日付支倉喜平刑事事件審理上必要の趣を以て御照会に相成候電車開通日時左記の通りに有之候此段及御回答候也
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大正六年五月三十日[#地から2字上げ]東京市電気局
東京地方裁判所予審判事 古我 清殿
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(左記)
自《より》四の橋|至《いたる》一の橋 明治四十一年十二月二十九日開通
自《より》一ノ橋|至《いたる》赤羽橋 明治四十二年六月二十二日開通
自《より》古川橋|至《いたる》目黒停車場前 大正二年九月十八日開通
備考 所在明示の為め別紙電車運転系統図を添付す
以上
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之が古我判事の手許に届いた電気局回答の全文だった。之で見ると電気局でも余程大事件だと思ったと見え、殆ど即日と云って好い位に迅速に調査をなし、尚電車運転系統図まで添えている。裁判所からの照会は支倉の第三回訊問後彼の自殺を企てようとした事件の為参考人銀之助を取調べた直後出したものらしい。
又古我判事はこの回答を受取ると直ちに第四回の支倉審問を開いた所を見ると、之亦余程この回答を待ちかねていたのだと思われる。
だが、まあこの回答は何と云う皮肉だ!
支倉が窮余の極、漸く一方に遁路《にげみち》を開いた苦肉の策だった電車未開通説は物の美事に打ちのめされたのだ。即ち支倉が貞子を連れ出したと云う日は大正二年九月二十六日で、電車の開通は同年同月十八日! 僅に八日以前に開通しているのだ。之が皮肉でなくてなんであろうか。
仮令《たとえ》八日でも既に電車が通じていたからには、支倉が電車はなかった筈だと嘯《うそぶ》いたのは全然無効だ。いやそればかりでなく反て判官の心証に悪い影響を与えたかも知れぬ。
六月一日の第四回審問に古我判事はこう云って支倉を極めつけている。
問 電気局に問合すと古川橋より目黒停車場間の電車は大正二年九月十八日開通と云う回答があったがどうじゃ。
この問には支倉も甚だ苦しい答弁をしている。
答 それでは仕方がありません。私は電車に乗らないのですから、電車は開通していないと思いました。
支倉はこの事が余程意外だったと見え、越えて六月四日に差出した、半紙五枚に細々と書き連らねた第二回の上願書の冒頭にこう書いている。
「其の当時開通しあらざりし電
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