車其の日自分乗車せざりし電車、開通しあるとは意外、まるで夢のようです。(中略)電車は自分に取っての致命傷にや」
兎に角、この電車問題では支倉の策戦が破れて、一敗地に塗《まみ》れたものと云わねばならぬ。
だが、支倉も子供ではない、いや/\それどころか人並以上に奸智に長けた男である。電気局に問合せれば立どころに分るような問題を、どうして、当時未だ電車が無かった筈だと申立てたのか。殊更に分り切った事を申立てゝ、あわよくば判官を瞞着し、拙く行っても審理を遅延させる事が出来ると考えたのか。
いかに彼でもこんな子供|誑《だま》しのような事を企てはしまい。思うに彼が電車未開通の事を云い出したのは、突発的に口から出委《でまか》せに云ったのではなくて、どうかして神楽坂署に於ける自白の効力を失わしめようと思って、数日獄窓裡に沈思黙考して、考え出したものであろう。
彼はあれこれと思い巡らした末、ふと当時電車は未だ開通していなかったのではないかと思い当ったのだ。
人は何か重大な出来事のなかった限り四年前の、而も実際の日とものゝ十日も違わぬ日に、電車が開通したかしなかったかと云うような事は思い出せるものではない。然らば支倉が当時電車がなかったように思ったのも無理はないだろう。だが、彼はその日に実に重大な殺人と云う罪を犯しているのだ。尤もまだこれには疑問の余地がないでもないが、仮りにもこんな大罪を犯したとしたら、その日の事を、記憶喪失病でない限り覚えていない筈はない。支倉は記憶喪失どころか、博覧強記で極く些細なことでもよく記憶している。とすると、どうしても知っていなければならないが、みす/\電車があった事を知っていた、なかった筈などゝ強弁するのは愚の骨頂で、支倉はそんなヘマな事をする人間じゃない。
で、筆者は結論として支倉は当時電車があったかなかったか、記憶が曖昧模糊としていたのではないかと思う。支倉は獄中で沈吟して、どうも当時電車はなかったらしいと思ううちに、だんだんない方に自信が出て来て、しめたと膝を打ったに違いない。何故ならこの矛盾から神楽坂署に於ける自白を覆す事が出来るからだ。
だが、殺人罪を犯した日の事を何故覚えていない? やはり彼の自白は出鱈目で、乗りもしない電車に乗ったように云ったのか、当日貞を連れ出した事は嘘か。
こゝでそう急き込まないで、一寸探偵眼を働かして
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