た。
古我判事はその頃清正公前に電車はなかった筈だと云う支倉の言葉にはっと驚いた。
読者諸君よ。
支倉が今古我判事に訊問されているのは、大正六年五月の事である。(不思議にも今から丁度十年前に当る)所が問題になっている殺人事件は大正二年九月に起った事だ。即ち殆ど四年を経過している。誰だって満四年に垂《なんな》んとする昔に果して清正公前に電車が開通していたかどうかと云う事は、電車線が恰度その時分に新しく敷かれたのだから確に記憶していよう筈がない。所でもし電車が開通していなかったとしたらどうか。
諸君よ。裁判と云うものは極微細な事から分れるものである。鳥渡した矛盾でも全判決を覆えす事が出来る。もし当時清正公前に電車が開通していなかったなら、そこから乗車したと云う支倉の自白は全然価値を失って終《しま》うではないか。従って神楽坂署の聴取書は根本から権威を失って終う。問題は微々たるようで実は頗る重大なのである。
古我判事は支倉が人を嘗めたような調子で、
「その頃そこには電車はない筈です」
と述べた時に、忽ちピタリと予審を閉じて終った。彼の云うような事実があるとすると、予審を根本的に遣り直さねばならぬ事になるかも知れぬ、至急に事実を確かめなければならぬと思ったからである。
古我氏は直に市電気局に当時既に電車が開通していたか否かの問合状を発するよう書記に命じた。
所が流石に支倉はさる者だ。彼は早くも古我判事の狼狽の色を見て取ったと見えて、機乗ずべしとなし、獄中より上願書と題して半紙二枚に細々《こま/″\》と認めたものを差出して古我判事を動かそうとした。
当時支倉は神楽坂署で自白をしたと云う事を深く後悔していた。彼は周囲の事情が刻々に自分に不利に展開し、剰《あまつさ》え立派な自白と云うものがあるので、最早云い逃れられぬ羽目に陥っていた。彼はこの儘では絞首台上の露と消える外はないと自覚したので、どうかして一方に血路を開いて、この不利な形勢から逃れようと急《あせ》っていた所へ、今日ふと投げて見た一石が案外、波紋を描きそうになったので、隙かさず哀訴を試みたのである。
彼の上願書と云うのはざっと次のようなものである。
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判官閣下
被告は只今聞くだに恐ろしき罪名の下に拘禁されて居りますものゝ、神楽坂署にて申立ての事柄は事実無根にて、被告の犯し居ります
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