体ですから私は声も上げる事が出来ず忽ち逃げ上りました。それから品川警察署に届けまして警官方の御出張を乞いました。死体取上げには昨年死にました私の父が中へ這入ったのです。
死体は頭には毛は少しもなく、眼耳鼻なども腐り落ちて、手首足首もありませんでした。身体に帯と襟とが附いて居りましたので女と分りましたが年の所はハッキリ致しません。
死体についていた帯は巾の狭い黒繻子でした。襟も帯と同じく黒繻子でした。
只今お示しの布片の黒い方は死体に附いていたものと同じだと思います。メリンスの方は一向存じませんです」
井戸浚渫を請負った山谷某は古我判事に次のように答えた。
「仰せの通り島田父子でその死体を引上げました。死体は両手を延ばし両足を投げ出し十の字になって殆ど裸でした。只襟の所に襦袢と着物の襟が附いて居りまして、腰の辺に巾七八寸位の帯が巻きついていました。
帯はメリンスに繻子の腹合せと思われ、襦袢の襟は赤らしく、着物の襟は繻子でした。襟の内にくけてあった布片から見ますと、矢絣の瓦斯地の着物を着ていた事と思います。其時に立会った人々は十八、九乃至二十位の女だと云って居りました。
お示しの布片は井戸から出た当時はこんなに切れないでもっと繋がって居ました。それにこんなに泥はついていませんでしたけれども、色はこれ位でした。赤い方は襦袢の襟で青い方は帯の裏になっていたと思います。
支倉さんは当時確に見に来ていました。然し口は利きませんでした」
井戸から上った死体の検視をした吉川医師が古我判事に答えた所は次の如くである。
「推定年齢を二十乃至二十五としたのは身長及一般の体格から推測したので、骨格の構造と乳線から女子と断定したのです。異例を考えれば十六歳位とも見られない事はありますまいが、私は検案書の如く推定いたしました。死後経過は六ヵ月乃至一年と見ました。自殺か他殺かと云う事はとても判別出来ませんでした。只今お示しの布片の内海老褐色のものは多分当時の物と存じます。其の他の布片については何とも申し上げられません。尚頭蓋骨は何分年数が経って居りますので確《しか》と申上げられませんが、当時のものより心持ち小さい様に思われます」
以上の証人の言から略※[#二の字点、1−2−22]古井戸より上った死体が行方不明になった小林貞である事が確実になったので、古我判事には漸く朧げながら事
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