たか。
 答 そうです。その趣を話し如何なる処置を執るかと支倉に告げました。
 問 支倉は何と答えたか。
 答 謝罪する又病人を治してやると申しました。父と云うのは正直な男で、初めは謝罪と病気治療で済ますと申して居りました。
 問 其後交渉は如何に為ったか。
 答 彼は弟定次郎は労働者だから成るべく事実を知らしたくない。知らすと無理な要求をするかも知れないと申して居りましたが遂に弟に話したと見え、弟一人か又は二人一緒に、私方へまいりました。
 弟定次郎が蛇《じゃ》の道は蛇《へび》で支倉の悪事に感づいた事が、思えばこの事件の起る原因だったのだ。支倉は彼の脅迫を恐れて貞を殺したのだろうか。

 神戸牧師の証言は縷々として続く。
 答 支倉を呼び寄せて小林の申出を話すと、少しの金は出来るけれどもそんな大金は払えぬと申しました。且つ同人は小林の方で是非金を取ると云うならば裁判の問題にするとも云いました。小林定次郎も聞いて呉れねば告訴すると云いました。私は支倉にそんな馬鹿な事をするよりも示談にした方がよいと勧告しました。其結果支倉は百円ならば出すと云い其旨を小林方へ伝えました。
 問 小林定次郎は最初三百円と云い、後に二百円で承諾したる如く述べているが如何《どう》か。
 答 私は前申す如く最初の要求が二百円位であったろうと思います。古い事で慥《しか》と記憶ありません。
 問 証人は貞子に逢った事があるか。
 答 あります。多分定次郎が一度貞子を連れて私方に来ました。痩せた小さい女でした。
 貞子は背が高いとも云い、小柄とも云い、証人が各々まち/\の返答をしているのはどう云うものか、興味のある点だ。
 三月三十一日には証人として小林貞を預かって病院に通わしていた中田かまと云う老婆が喚ばれた。この辺りからボツ/\井戸から上った死体が果して貞子かどうかと云う事が判明して来る。
 問 証人は小林貞子とは如何なる知合であったか。
 答 大正元年中貞子が上京した時より知って居ります。其父は前に私方より学校へ通学し、その後弟定次郎方へ同居しましたが、キリスト教信者なので、互に往復し、貞子上京の事も知っています。
 問 証人は貞子より直接支倉の為め強姦されしや否やを聞かなかったか。
 答 病状として、病み歩行困難なる事を聞きましたけれども、支倉にどうされたかを貞子より直接聞きませんでした。

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