、偽りも申した事はありますが、その当時は自分の犯罪を自白せずに自殺しようと思い、石を呑んだり硝子を呑んだり、銅貨を呑んだり、又は古釘で頭蓋を突き破って死のうとしたり試みましたが、自殺の目的を達する事を得ず、煩悶している間に今日の場合は寧ろ潔く事実を陳《の》べ、妻子が無関係であるのに再三再四裁判所へ呼出されて迷惑する事のないようにした方が宜しいと決心がつきましたから、昨十九日署長にも願って妻子の事に就いて後事を託したいと存じ、中野の宣教師ウイリヤムソンを呼んで頂き面会して後事を託し、尚神戸牧師及妻にも面会を許して頂き、心の残りのないようにして此処へ参りましたのですから、決してもう偽りは申しませぬ」
彼はそう前提して、聖書の窃盗は元より前後三回の放火についても詳細自白し、尚貞を殺した事についても次の如く陳述した。
「――時刻は夕方であったかと思いますが、夫れが大正二年九月二十六日の事であったかどうか記憶がありませぬ。貞がいなくなったのが同日であったとすれば其の日であったか、何時だったかも思い出せませぬ。然し私は貞の居なくたったと云う日の午後九時頃、実は上大崎所在の空地内なる古井戸へ貞を突落として殺したのであります」
小塚検事は静かに支倉を観察した。そうして傍にあった神楽坂署から被告人と共に送って来た戸籍調書と前科調書とに眼を落とした。直ぐその傍には証拠物件が堆高く重ねてあった。小塚氏はじっと考えを凝した。
窓外《そと》では恰度この時春光を浴びながら、透き通るようなうすものゝショールを長々と飜えして、令嬢風の女連が、厳めしい煉瓦造りの建物を黙殺し乍ら歩いていた。
やがて小塚検事は筆を取って予審請求書に署名をした。そうして、
「司法警察官意見書記載の犯罪事実全部を起訴す」
と書き加えた。
支倉喜平《はせくらきへい》は小塚検事に依って起訴されると、即日予審判事|古我清《こがきよし》氏によって第一回の訊問を受けた。
型の如く住所氏名職業等を問質した後、判事は厳然として前科を述べよと云った。
支倉の前科については正しい調書があるからこゝで鳥渡述べて置こう。
彼はすべてゞ前科四犯を重ねているのだった。
初犯は明治三十六年で、山形地方裁判所鶴岡支部で窃盗罪により重禁錮三ヵ月に処せられている。当時彼は二十二歳である。二犯は翌三十七年で、同じく窃盗で山形地方裁判所に
前へ
次へ
全215ページ中134ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
甲賀 三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング