》げていたとは思われないのである。
 が、一方、支倉喜平に対しても彼が獄中で縷々として冤罪を訴えた心事は実に憐むべきで、涙と戦慄なしには彼の獄中記を読む事は出来ないであろう。彼に対しても又数多の同情者の現われたのは蓋し当然である。
 面白くない事を縷々として述べたが、之だけの事情をすっかり呑み込んで置いて貰わないと、これから展開する支倉対庄司署長の闘争。それに、も一人東都弁護士会にその人ありと云われた能勢氏と云う豪傑が現われて、三つ巴になって相争うと云う本篇の最も興味のある所が理解出来ないのだ。
 事件はどう云う風に転回するだろうか。


          断罪

 神楽坂署で潔く自白をすませた支倉は、欣々然として検事局に送られた。欣々然と云う形容は少し誇張に過ぎる嫌いがあるけれども、少くとも彼は全く解放せられた気持だった。その気持は神楽坂署で数日間続行訊問をやられた苦痛から逃れる事が出来た為か、又は積悪を自白して良心の苛責から免れて、安住な心の落着き場を見出した為か、それは支倉自身に尋ねて見なければ分らぬ事であるが、彼は恰度悪戯をした小児《こども》がひどく叱られてしょげた後の打って変ったはしゃぎ[#「はしゃぎ」に傍点]のように、恐ろしい罪名を附けられて検事局へ送られながら、少しも悪びれた様子がなく、反て幾分亢奮をしていたらしく思われる。
 係りの検事は夙《つと》に令名のある小塚《おづか》氏だった。小塚検事は多年刑事裁判に従事した人とは思えない温顔に、流石に対手の心の底まで見抜くような透き通った眼で支倉を見据えながら、徐々に訊問をした。
 支倉はスラ/\と彼の罪悪を自白した。
 彼は一月足らず警察を嘲弄しながら逃げ廻った後神楽坂署に拘禁されて、彼の言葉を借りて云うと、七日七晩責め抜かれても、容易に口を開かなかったのが、漸く女を上海《シャンハイ》に売飛ばしたと云い立てたのが三月十八日で、それから畳かけられてとうとう残らず犯罪事実を自白したのが十九日、それで小塚検事の取調べが二十日で、即日起訴されているのであるから、彼がいかに恐れ入って、悔悟の涙に咽びながら事実を申立てたかと云う事が分る。
 彼は小塚検事にこう云っている。
「私は断じて偽りは申しません。又他にも重大な犯罪を犯して居りますから、決して一つや二つは隠し立ては致しません。尤も私は神楽坂署に拘留せられて居る間
前へ 次へ
全215ページ中133ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
甲賀 三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング