当時にあっては何に感じたか涙を流して庄司署長の徳を称えていたのだから、後でそんな事を云い出しても不利な所がある。
 庄司署長にした所で、当時は何と云っても三十を少し出た許りで、青雲の志に燃えている時だ。一体日本の教育は子供の時から猛烈な戦闘意識を養う事になっている。立身出世をせよと教える。そうしてその為には少しでも前へ出なければいけないので、時には儕輩《せいはい》を排斥する位の事はしなければならない。前の人が斃れゝばそれが幸いで、その死屍を踏み越えて前進する。宇治川の先陣争いで、佐々木が梶原を誑《だま》した位の事は何でもない事になっている。
 今はそうでもないが、今から十年前となると、何と云っても官学の元締めの帝大の卒業生などは鼻息の荒いもので、何とかして出世しようと思う。一つには学生と云うものが誠に純真で、世相の複雑な事が分らないから、先輩などのやり方がまだるこしくって、彼等が社会に出てまごついているのが歯痒ゆい。俺ならあんな事をするものか。乃公《だいこう》一度び出《いず》れば手に唾して栄職につく事が出来ると考える。そして何分にも長い学生生活に倦きているから、社会に出て働くと云う事に無限の興味と期待を持っている。だから卒業したての学生の意気組みと職業的良心と云うものは素晴らしいものだ。之は誰でも学窓を出たての就職当時の事を回想すればきっと思い当る所があると思う。この意気組みと職業的良心が誠に貴い所で、之を善用し活用すれば大したものになるのだが、悲しい事には官庁でも会社でも組織に欠陥がある為に、素直にそれを受け入れる事が出来ない。その為にフレッシュマンの意気は次第に沮喪し、元気は消耗し萎縮して終《しま》う。遂には次期の学生から意気地のない先輩と見られるようになる。
 そこで問題の庄司署長であるが、彼は当時学窓を出て未だ幾何《いくら》も経っていない。彼には意気組みの素晴らしいものがあると同時に、十分な職業的良心を持っていた事と私は信じる事が出来る。いや、この庄司と云う人は例外的な人で、恐らくいくつになっても漲《みなぎ》るような意気と、良心とを捨てる人ではないと思う。
 支倉事件の検挙の方針を誤っていたか、訊問の方法が失敗だったか、そんな問題は第二として、又誠心誠意を以てやった事ならどんな事でも好いと云う暴論は吐かないが、少くとも、庄司署長がこの問題に対して良心を枉《ま
前へ 次へ
全215ページ中132ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
甲賀 三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング