苦数日、昼夜肝胆を砕いて訊問した末、漸く自白せしめる事が出来たのであるから、彼は心中勇躍していた事も十分察せられる。後日支倉断罪に当って証拠に不十分の廉《かど》を生じたとしたら、正に此喜悦の余りの不用意と見るべきで、そこに人間としての彼を見る事が出来るではないか。もし彼が人間味のない冷血漢であって、支倉の自白に多少でも強制の痕がある事を認めたら、恐らく後日自白を飜えしはしないかと云うことに考え及んで、抜きさしならない証拠の蒐集にかゝったであろう。或はその証拠蒐集に当って悪辣な手段を弄したかも知れぬ。
 然し彼はそんなこともしなかったし、又する必要もなかったと云うのは、支倉の自白は心からの自白であって、少しも強いられた痕がなく、それ所か支倉は繰返し署長に対して感謝の念を表示していたのである。
 後年神戸牧師は支倉告白の場面に就いて、述懐してこう書いている。
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「――この始終の消息と此談話とは其後事件の迷惑を唱えられるようになってからは、却って益※[#二の字点、1−2−22]あり/\と想い出さるゝのであって、何故あの時の彼の美しい懺悔が、急転掌を返したように彼の心地は変ったか。さるにても彼《か》の時の懺悔の意味は他にあったのであろうかと想わざるを得ないのであった。
殊に『弔いのために懐中少い中から、これをさいても費用に費ってくれ』と云うた彼の言葉はまさか殺しもしない者のために此犠牲を払うにも当るまいと想われるのであった。が、又考えようによっては、殺しはせぬが憐愍《れんびん》のために其妻女の美しい同情に惹かされてツイ涙と共にあのような事を口走ったものでもあるのか。其とかくの事実は現に世間と共に一種の謎として取り残されては居るが、しかし我等の印象から云えば、古い文字ではあるが、『鳥の将に死なんとするや其声哀し、人の将に死なんとするや其言う処善し』である、の前科者で、且つ今は数罪を数えられて、窃盗、放火、詐欺、強姦、殺人者である彼が、僅に数分の事であっても其の啜り上ぐる声涙の下から、懺悔と感謝の言葉が出たと云う事は、彼も亦人の子であると観るのが何故に誤りであろう。仮令彼は法廷で罪を一々白状しないまでも、其霊性の根から湧いて出た其正直な告白の方が、遙に立派な声明ではないか」
[#ここで字下げ終わり]
 然り、かくの如く支倉の告白の場面は厳粛であって、心から
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