署長も流石《さすが》に驚駭の色を現わして突立上った。
大島主任が昏々として無意識状態となり、食塩注射によって、辛じて生死の間を彷徨しているその日の午後、石子、渡辺両刑事は又もや支倉を留置場から引出した。主任の弔合戦である。二人は初めから殺気立っている。
「おい、支倉、どうしても云わないか」
渡辺刑事は息巻いた。
「こうなったら根比べだ。貴様が先に参るか、俺が斃れるか。何日でも訊問を続けるばかりだ」
「支倉、幾度も云って聞かせる通り」
石子刑事も噛みつかん許りに呶鳴った。
「貴様のした事は明々白々なのだ。知らぬ存ぜぬで云い張ろうとしても無駄な事だぞ」
然し支倉は容易に自白しようとはしなかった。
午後の日は次第に傾いて漸く薄暮に及んだが、訊問は未だ止まなかった。刑事部屋の堅く閉ざされた扉を通じて、時々刑事の怒号する声が外に洩れ聞えた。
日もトップリと暮れはてた時分刑事部屋の扉が開いて、蒼白い顔をした支倉がぬっと現われた。背後には油断なく両刑事が従っている。彼は便所へ行く事を許されたのだった。
この時の支倉の気持はどうであったろうか。
彼は今恐ろしい犯罪の嫌疑を受けて、日夜責め問われている。彼の行動は充分そんな嫌疑を蒙るに足るのだ。
既に読者諸君も御存じの通り、数々の証拠が挙っている。が、然しその証拠は嫌疑を深めるだけの力はあるが、動かすべからざる確定的のものはないと云って好い。それだからどうしても彼を自白させなければならない。所が、彼は証拠の薄弱なのを知ってか、容易に口を開かない。之まで名だゝる強《したゝ》か者を子供のように扱った警吏達も、すっかり手こずって終った。今は乃木将軍が旅順を攻め落した時のように遮二無二、口をこじ開けてゞも白状させようとしているのだ。流石の支倉もヘト/\になりながら便所に這入った。
石子、渡辺両刑事はじっと外に張番《はりばん》をしていた。
便所に這入った支倉は中々出て来なかった。
拘留中の嫌疑者が間々便所から逃走する事があるので、窓にはすっかり金網が張ってあるし、殊に大切な嫌疑者だから両刑事が爛々たる眼を輝かして見張をしているのだから、とても逃走などと云う事は出来ない。彼は今休む暇なき思いを、あわれ便所に暫しの安息を求めているのだろうか。それにしても少し長過ぎる。
渡辺刑事は待ち切れないで外から声をかけると、中からは
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