も職掌上出来るだけ君の罪が軽くなるようにしようし、君だって相当の財産があるのだから、後に残った妻子は別に困りゃしまい。え、どうだい」
署長は諄々として説いた。手を替え品を替えと云う言葉があるが、支倉のような頑強な拗者《すねもの》にかゝっては全くその通りにしなければならぬ。署長はどうかして支倉の口を開かせようと思って、子供でも扱うように騙したり賺《すか》したりして責め訊ねた。署長には元より他意はない。当時の支倉も知らぬ存ぜぬと突っ張りながらも、署長の訊問には可成感銘したのであろう。それは後の彼の自白に徴しても知られる。
然し更にその後呪いの鬼になった彼が、此署長の訊問中の不用意な片言隻語を捕えて、いかにそれを利用したか。読者諸君は一驚を喫せられる時があるであろう。
「お話はよく分りました」
支倉はぬっと頭を上げた。
「よく考えて見ますから今日は寝さして下さい」
「うむ」
寝さして呉れと云う支倉の言葉に、署長は暫く考えていたが、
「よし、今日の取調は之で終ろう。明日又訊ねるから考えて置くが好い」
午後から引続いた長い訊問は之で終った。
支倉は淋しい独房で破れ勝ちな夢を結ぶ事になった。
翌朝も快い春めいた空だった。人々は陽気に笑いさゞめきながら、郊外に残《のこ》んの梅花や、未だ蕾の堅い桜などを訪ねるのだった。忙しそうに歩き廻る商店街の人達さえ、どことなくゆったりとした気分に充ちていた。
独房に閉じ込められた支倉喜平には、然し春の訪れはなかった。彼を自白せしめようと只管《ひたすら》努力している警吏達にも、春を味わうような余裕はなかった。真四角な灰色の警察署の建築の中はあわただしいものではある。
この朝は神楽坂署の内部は、何となく憂色に閉ざされていた。
司法主任の大島警部補が急に病が革《あらた》まったのである。
彼が病を押して身を挺して支倉の訊問に当っていた事は前に述べたが、昨日は殊に気分の勝れなかったのを無理に出署したのだが、出署して見れば支倉を取調べずには居られない。で、刑事達の留めるのも聞かず訊問を始めたが、忽ち興奮して終って持病の心臓をひどく痛めて終った。帰宅するとそのまゝバッタリ斃れて終ったのであった。
「大島主任はどうもいけないらしいです」
真蒼な顔をして署長室に這入って来た石子は、署長の顔を見つめながら云った。
「えっ」
物に動じない
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