。頬骨は高く出て、見るから頑丈そうな身体、それに生れつきの大音の奥州弁でまくし立てる所は、彼のいかつい毬栗頭と相俟って、さながら画に描いた叡山の悪僧を目のあたり見るようだった。彼を知っている人は殆ど口を揃えて第一印象がどうしても悪人としか思えなかったと云う。
尤も醜怪な悪相をしていたからと云って、心まで悪人だとは極っていない。史記の仲尼弟子列伝中に孔子が、「吾言を以て人を取り之を宰予《さいよ》に失う。貌《ぼう》を以て人を取り之を子羽《しう》に失う」と云っている。宰予と云うのは論語にもある通り昼寝をして孔子に叱られた人で、弁舌利口だったが人間は小人だった。そこで孔子が弁舌に迷わされて一時胡麻化されたのを後悔した言葉だ。子羽と云うのは本名を澹台滅明と云って容貌が頗る醜怪だったので、孔子も私《ひそ》かに排斥して弟子とするのを喜ばなかった。所がこの人は頗る立派な人で、後に弟子の三百人も取って、其名を諸侯に知られるようになった。そこで孔子が容貌で人を判断して誤った事を後悔して、宰予の場合と並べて弟子達を戒められたのだ。尤も之には異説があって、孔子家語によると、子羽は容貌頗る君子然としていたが、心は駄目だった。孔子が容貌の君子然としているのに迷わされて、しくじったと恰《まる》で正反対の事が書いてある。が、要するに孔子のような大聖でも、つい容貌で人を判断して誤った場合があったので、孔子の失敗談は後にも先にも此の一事だけだから面白い。
所で、支倉喜平だが、彼はかく容貌が悪相だったが、その上に彼は実際悪い事をしている。既に前科三犯を重ねて、今又聖書の窃盗を遣り、女中に来た少女に暴行を加えている。之は何れも証拠があり罪状歴然としている上に、更に放火殺人と云う重罪の嫌疑をかけられている。之では警察当局者でなくても、先ず彼は悪人であると見なければならない。それから石子刑事が自宅を訪ねて来た時に逃亡してから逮捕せられるに至るまでの彼の行動と云うものは、頗る警察を愚弄したもので、その大胆不敵と緻密なる用意、奸智に長けたる事には驚く外はない。逃亡中に北紺屋署へ出頭して市電気局を訴えようとしたり、写真館に弟子入りしてそこを手紙の仲介所にしたり、いずれも普通一般の人間の考え及ぶ所ではない。
彼が何故あんなに逃げ歩いたか、何故警察に宛て嘲弄状を度々送ったか。彼自身の弁明は後に出て来るが、頗る曖昧
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