ゝき》の音にも油断なく身構えると云う男であるから、もし少しでも怪しいと感じたら、逸早く逃げ出すに違いない。それに今日は殊更に浅田を連れて来ていない、と云うのは彼から何か合図でもされてはと云う懸念からであるが、それだけに浅田の姿が見えない事は支倉に疑念を起させ易い。それにもし彼が石子の姿でも認めれば大変である。彼が先に石子の姿を見出すか、石子の方で先に彼を見出すかそれで殆ど勝負は極るのである。尤も大勢の刑事達が網を張っているから、支倉の方でよし先に見つけて逃げ出しても、容易には逃げおおせまいが、それは第二として石子はどうしても第一番に彼を見出さねばならないのだ。支倉の秘密を発く端緒を握ったのも彼である。最初に支倉を逃がしたのも彼である。それ以来の日夜の苦心焦慮は実に惨憺たるものであった。今日逃がしてなるものか。石子刑事は全身の血を湧き立たせながら、定められた部署のない自由な身体をあちこちと歩き廻らせていた。
午前十時は刻々に近づいて来た。
いつの間にか露店の数が増えて参詣人の人々も次第に多くなり、境内は朝の静寂から漸く昼間の喧噪へと展開して行くようだった。
今まで一塊になって日向ぼっこをしていた子供や子守り女の群はもうそんな悠暢な事はしていられないと云う風にキョト/\と歩き廻り始めるのだった。
石子刑事は油断なくこんな光景を睨み廻していたが、何を思いついたか足を早めて鳥居の外へ急いだ。と、その辺にしゃがんでいた見るから田舎臭い、真黒な日に焼けた中年の男が、脂だらけの煙管をポンとはたいて、腰に差した薄汚い煙草入にスポリと収めると、ヒョロ/\と立上って、石子の前に歩み出でヒョイと頭を下げて、
「鳥渡ものをお尋ね申しますだが」
と、云ったが、直ぐ低声《こゞえ》になって、
「どうした、来たのかい」
と口早に聞いた。
「いや、未だ」
石子も低声で鋭く答えた。
「どうして外へ行くのだ」
彼は重ねて聞いた。
この田舎爺然としている男は田沼と云う刑事で、柔道三段と云う署内切っての強の者で、今日は特に選抜されて出て来たので、スワと云えば直ぐ飛び出して腕力を奮おうと云うのである。
「実はね」
石子は答えた。
「今ふと思いついたのだが、支倉の奴はとても喰えない奴だからこゝの境内までは来るまいかと思われるのだ、奴はきっと八幡様の手前の方にそっと見張っていて、浅田の姿を見
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