、この手紙の事をみんなに伝える事が出来ないで、大変困った事になるんだったよ」
「きゃつの旧悪の事は大分はっきりして来たんでね」
 石子は顔を曇らしながら、
「一時も早く捕えないと、警察の威信にもかゝわるし、第一僕は署長にたいしてあわせる顔がないんだ」
「その点は僕だって同じ事だ。署長のいら/\している顔を見ると身を切られるより辛い。全くお互に意気地がないんだからなあ。毎日のように嘲弄状を受取りながら犯人が挙げられないんだからなあ」
「そうだよ、僕達はとても根岸のように落着き払っていられないよ」
「矢張り年の関係だなあ。僕達も年を取ればあゝなるかも知れないが、今はとてもあいつの真似は出来ないなあ」
 渡辺は相槌を打ったが、ふと思いついたように、
「で何かい、あの屍体は愈※[#二の字点、1−2−22]小林貞と確定したのかい」
「うん、確定したよ」
 石子は急に晴々《はれ/″\》とした顔をした。
「そう/\、君はずっとこの家に張り込んでいたのだから、知らなかったっけね。頭蓋骨に非常な特徴があってね、それに残っていた着衣の一部が家出当時のものと判明したから、もう大丈夫だよ。只骨組が少し大き過ぎると云うのだが、大した障りにはなるまいと思う」
「そうか、それは手柄だったね」
「そんな話は後廻しとして、浅田に返辞を書かそうじゃないか」
「そうだ」
 渡辺刑事は階段の上り口から大声で呼んだ。
「おい、君、鳥渡降りて来て呉れ給え」
 浅田は仏頂面をしてノッシ/\と降りて来た。彼はジロリと石子を横目で睨んだ。
「支倉からこう云う返辞が来たんだ」
 渡辺は浅田に支倉からの手紙を示した。
「誰が開けたんですか」
 浅田は手紙を受取ると、苦り切ってそう云った。
「僕が開けたんだ。急場の場合で仕方がなかったんだ」
 渡辺は押えつけるように云った。
「そうですか」
 浅田は一言そう云ったきりで、暫く拡げた手紙を眺めていた。
「承知したと云う返辞を書いて貰いたいんだ」
 渡辺は厳かに云った。
「ようござんす」
 浅田は割に素直に返辞をした。
「支倉さんも運が尽きましたね。八幡さまの境内で、捕るようになるとは神罰とでも云うのでしょう」


          網の魚

 大正六年三月某日、前日午後からシト/\と降り出した春雨は夜に這入ってその勢いを増し、今日の天気はどうあろうと気遣われたのが、暁方か
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