静子は浅田の気味の悪い視線を避けながら、
「どう云う事なんでございましょうかしら」
「さあ、私にもよくは分りませんがね。もし支倉さんが潔白なのでしたら、あゝ逃げ廻る必要もなくあなたに周章《あわて》て財産を譲る必要もない筈です。今だに姿を晦ましているのは何か重大な罪を犯して居られるのではないかと思われますがね」
「そんな筈はございません。そんな逃げ廻るような罪を犯している気遣いはありません」
 静子はきっぱり云った。
「そうですか、それなら結構ですが」
 浅田はニヤリとして、
「大分前の事ですが、あなたの所の女中さんが行方不明になった事がありましたね」
「はい」
 静子は恨めしそうに浅田を見上げながら答えた。
「あの女中さんは、こんな事を云っちゃなんですが、支倉さんがどうかなすったのでしょう」
「はい」
「そんな事で警察へ呼ばれるんじゃないでしょうか」
「そんな筈はないと存じます。あの時の事はちゃんと片がついているのでございますから」
「はゝあ、ちゃんと片づいているのですか」
「はい、神戸《かんべ》牧師に仲に這入って頂きまして、すっかり話をつけましたのです」
「何でも無頼漢《ごろつき》の叔父かなんかゞいたようですが、そんな奴が訴えでもしたのではありませんか」
「さあ、そんな事はないと存じますが、あの叔父と申すのは随分分らない人でしたから――」
「そうだったようですね。私はあの女中さんを隠したのもそいつの仕業だろうと思っているのですよ」
「主人もそう申して居りました」
「然し、聖書の事位ならそう逃げ隠れしなくても好さそうなもんですがなあ」
 浅田は独言のように云ったが、何を思ったか形を改めて云った。
「ねえ、奥さん」

 浅田は形を改めて切出した。
「ねえ、奥さん。こんな事を云っちゃなんですけれども、支倉さんはそう頼みになる人ではありませんよ」
「――――」
 静子は黙って、咎めるように浅田の顔を仰ぎ見た。
「ひどい事を云う奴だとお思いかも知れませんが、支倉さんの今度の遣方などは凄いものですよ。一月の末でしたかね、刑事がやって来た時に支倉さんは巧妙な方法で逃げたでしょう。そうしてあの晩は火薬製造所跡の庭で一晩明したのだそうですよ。何でも大きな松の木があるそこの下で一晩明したと云ってられました。それで秀吉が木下藤吉郎と名乗った故事になぞらえて、松の下で一夜を明したと云うの
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