を排し、身命を抛《なげう》って任務を遂行《すいこう》する事を欲する」
「ハッ」
 仁科少佐はいつもと違った総長の厳《おごそ》かな態度に、身体を硬《こわ》ばらしながら答えました。
「帝国陸軍の最も重要な秘密書類が、×国間謀の手に入った。貴官は速《すみや》かにその書類を奪回せよ。これが本官の命令である。尚《なお》、委《くわ》しい事情は情報課長から説明するじゃろう」
「ハッ」
 仁科少佐は恭《うやうや》しく礼をしました。総長はホッとして、幾分顔を和《やわら》げながら、
「仁科少佐、これは実にむずかしい且つ危険な任務じゃ。命令は命令として、俺《わし》は一個人として君に頼む。君以外にこの任務の果せるものはないのじゃ。しっかり頼むぞ」
 総長の情《なさけ》の籠《こも》った信頼の言葉に、仁科少佐の身体は益々《ますます》固くなるのでした。
 情報課長の谷山大佐は、参謀総長の言葉をついで、どんな事があっても、三日以内には取返さなければならないと云う事と、書類の形や内容を話した後に、つけ加えました。
「書類を盗ませて、現に手に入れているのは、明《あきら》かに、例の麹町六番町《こうじまちろくばんちょう》に住んでいるウイラード・シムソンなのだ」
「えッ、シムソン! あいつ[#「あいつ」に傍点]ですか」
 仁科少佐は叫びました。ウイラード・シムソン、彼こそはかねて某国の軍事探偵であると睨《にら》まれていた強《したた》か者でした。少佐は心のうちで、「これは強敵だぞ。だが、身命を賭《と》してかかれば何事かならざんやだ」と云ったのでした。
 皆さんは敵方の間諜をなぜ捕えもせず、又本国へ追い返しもしないで、そっとして置くのかと、お疑いになるでしょう。尤《もっと》もな疑問ですが、たとえ間謀である疑いが十分であっても、これと云う確かな証拠がなければ、どうする事も出来ません。ましてや、相手は外国人ですから、下手な事をすれば直《す》ぐねじ込まれて、国際間に面倒な事が起るのです。
 でも、と皆さんは云われるでしょう、そのシムソンと云う男が、秘密書類を奪《と》った事が確かなら、なぜ家宅捜査をするのと一緒に、縛《しば》ってしまわないかと。
 それも尤もなご質問です。けれども、皆さん、考えて見て下さい。卑《いや》しくも間謀を務めている者、しかもシムソンのように一筋縄《ひとすじなわ》で行かない強か者が、盗んだ書類を身
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