いかに努力しても、妻に対して日に日によそよそしくなるのを禁ずることが出来ませんでした。私は唯気違い馬のように、只管《ひたすら》研究に没頭するばかりです。妻には無論血液型の事については一言も申しませんでした。妻は私がよそよそしくなったのは、私の本来の性格と、研究に熱心なる為と解していたと思います。彼女は私の冷い態度に反して、益々貞淑に仕えて呉れるのです。ああ、私は妻の貞淑が証明されるまで、次の子供を設けようとさえしませんでしたのに。
生れた子供は幸か不幸か十一の年に死にました。私はその不幸の子の為に、今こそ潸々《さんさん》と涙を注ぎます。可哀そうな子供、父の愛を少しも味わないで、淋しく死んで行った子。本当に哀れな子でした。
私の研究は進みました。然し、それは妻の貞淑を否定する材料ばかりです。ああ、二十年の永い間、夫婦でありながら夫婦でない夫婦、夫からは冷い眼で見られ、疑られながら、貞淑を尽し通した妻、何という可哀そうな女でしょう。だが、私も何と可哀そうな夫ではありませんか。
私達はこうして、尚十年も二十年も生きて行かなければならなかったのです、然し、天もいつまでも私達に無情ではありません。学生のうちにあなたが交っていたということは、私は只の偶然だとは思いません。もし只の偶然なら、あなたは他の学生と同じように、決して私に近づこうとしなかったでしょう。又血液型の研究を始めようと思ったり、自分自身や父母弟妹の血液型を定めようとはしなかったでしょう。すべては天意です。決して偶然ではありません。
ああ、忘れもしません。私の最初の驚愕、それはあなたが血液型を測定して、あなたのお父さんがB型でお母さんがO型、それにあなた自身がA型だという事を聞いた時です。私は念の為自分で測定して見ましたが、やはりその通りでした。
ですが、それにも増して驚いたのは、あなたがK病院の産室で生れたという事を聞いた時でした。そして、あなたの生年月日を調べた時の私の驚き、よくあの時に気が狂わなかった事だと思っています。
ここまで書けば最早お気づきでしょう。私の死んだ子供もK病院の産室で生れたのです。そうして、生年月日は全くあなたと同じです。私の死んだ子とあなたとは、同じ日に同じ所で生れたのです。
生れ立ての赤ン坊は性別以外に著しい特徴はありません。病院の産室では、往々取扱うものの不注意や思い違いから、取違えないとも限らないのです。それ故、病院では、着物に糸で印をつけたり、或いは番号を付したりしています。アメリカの大都市の産院ではこの間違いを防ぐ為に、初生児の指紋は取り悪《にく》いから、蹠紋を取ることにしています。そういう訳で、K病院でも、無闇に生れた子供を取違える訳はありません。そんな不注意や過失はないと思います。ですが故意にやることは防げません。
私達の子供を故意に取替えたもの、それはいわずと知れた毛沼博士です。それは何という無慈悲な惨酷な復讐でしょう。
私はあなたの血液型の事を聞き、K病院で生れた事、生年月日を知って、及ぶ限りの綿密な調査をしました。その結果確かに毛沼博士の憎むべき奸計《かんけい》であることが分ったのです。K病院では整形外科の手術室のすぐ前に産室があります。当時毛沼博士は整形外科の医員に友人があり、旨《うま》く頼み込んで、妻が出産をする前夜に、始終整形外科に出入していることが判明しました。それに私の死んだ児とあなたが元通りになれば、その結果は学問上の断案と何等矛盾しないようになるのです。
復讐の手段に事を欠いて、何という不徳な破倫な方法でしょう。それによって、私達夫妻はどんな苦しみを受けた事でしょう。そうして場合によっては、死ぬまでその苦しみを続けなければならなかったのです。彼に酬《むくい》るもの死以外には何ものもないではありませんか。
然し、漫然と彼を殺すことは意味のないことです。彼に何によって死を与えられるかということを十分知らさなければなりません。私は彼に私達の子供の生れた時を思い出さしめ、且つ血液型を暗示するような記号を書いた書面を送りました。それは確かに手答えがありました。彼はひどくうろたえ始め、護身用のピストルを携帯したり、部屋に鍵を下したりするようになりました。彼は無言のうちに、非道の所為《しょい》を告白したのです。
あの夜私は彼の家の中に潜んでいて、あなたが帰られると、入れ違いに彼の部屋に這入って、或るトリックを瓦斯ストーブに加えました。その時にふと机の上の雑誌に眼がつき、その中の写真版を引ちぎったのは、浅墓《あさはか》な所為でした。その為に後であなたから疑われる結果になったのです。
ストーブにトリックを加えた後、私は徐《おもむ》ろに毛沼を揺り起しました。彼が眼を覚《さ》まして、ドキンとしながら、あわててピ
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