続いたのだす。その間に花江は一本になり、いつか二人は互に許すようになって、末は夫婦と固く誓うたのでした。
和武の二十三か四の年に、前にいったように、子爵家に和明ちゅう子供が生れて、子爵家でも和武の固うなったのを認めたと見えて、東京へ帰って来いといって来たのです。その時に和武は大へん喜んだそうで。照奴はその時のことをこういうて話しました。
「かーはんはえらい喜びようで、花江、とうとう僕も東京に帰れるようになった。僕は妾《めかけ》の子で、その為にどれだけ苦労したか知れないから、お前を日蔭者にはしとうない。といって、東京の兄さんは固い一方で、芸者なんて、頭から汚れたものだと思ってる。僕は何とかして君を引かそう。そうして、一年なり二年なり、堅気で暮して、然るべき人に口を利いて貰って、兄の許しを得て晴れて夫婦になろう。ね、そうしようね、とこういやはりました。うちも嬉しゅうて、本まにその時は泣きましたわ。うちは今でも、かーはんがその時に嘘をいやはったとは、どうしても思われまへん。その時に恰度山の方へ行く事に定《きま》っていましたんで、かーはんは兎に角山に行って来る。帰って来たら、すぐ東京に行って
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