彼は飽くまで自分を短命なものと信じている。
 朝子さんの献身的態度にも敬服する他はない。流石《さすが》は公家の出である。病弱の身体で、あの気紛れな――今は大へんよくなったが――癇癪持ちの夫に仕えて、些《いさゝか》の不満も現わさず、唯々諾々として忠実を守っている姿は涙ぐましいものがある。兎に角、立派な夫婦だ、それに子供は出来たし、もう重武などを少しも恐れる所はないだろう。そういえば、重武は近々上京するという手紙を寄越したそうだが、仮令《たとえ》彼が東京で住む事になっても、二川家には大した波瀾は起らないだろうと思う。
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 それから暫くは、二川家は泰平だったらしい。重明が歩き出すようになり、片言を喋るようになる時分に、野村はその遊び相手として、度々二川家に行った訳である。その時の事はむろん野村の記憶にはないが、時々はひどく掴み合ったそうで、成人してからは逆になったが、当時は二川の方が肥っていて力が強く、野村の方が分《ぶ》が悪かったらしい。掴み合いが始まると、むろん乳母はあわてゝ仲裁したに違いない。
 重武が上京したかどうかについては記録はないが、重行の葬式当日重武が
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