せん。殊にですな、解剖の結果、益々当方の過ちでない事が証明されましたよ。というのは、二川子爵は全然私達の薬局に備えつけてないような猛毒性のアルカロイドを摂取しておられるんですよ」
「解剖の結果、分ったのですか」
「えゝ」
と、この時に野村は重大な事を思い出した。今までどうして気がつかなかったのだろうと思いながら、
「こちらで頂いた催眠剤は二回分あった訳ですな」
「そうです」太田医師は直ぐうなずいて、「当日取りに来たのでしたから、二回分あった筈です」
「すると、残りの一回はどうなったのでしょうか」
「二回分一緒にやっちゃったのですよ」
「二回分?」
「えゝ、今までに例のないことで、二川子爵は私を信頼して呉れましたし、中々よく医師のいいつけを守る患者で、之まで二回分を一度に呑むなんて事はなかったのでしたが、死を一層確実にしようと考えられたのでしょうかね。二度分を一|時《どき》に呑まれましたよ」
「然し――」
そういう猛毒性の立どころに死ぬような毒薬を煽《あお》った者が、今更一回分の催眠剤を追加して見た所で仕方のない事ではないか。小間使の千鶴の前では確か一回分しか呑まなかった筈だ。これは小間使を安心させて、自殺することを悟られない為の用心と見られるが、小間使が出て行ってから、毒薬と一緒に残ったもう一回分の催眠剤を取ったのは可怪《おか》しいではないか。
野村はこの事をいおうと思ったが、別に必要もない事だと思って直ぐ止めた。そして、
「どうもいろ/\有難うございました」
といって、太田医院を出た。
彼は再び二川邸に行った。
そうして、もう一度千鶴を別室に呼んだ。
重武が異様な眼で彼の行動を見守っているであろう事は、十分察せられたが、今は、そんな事を考慮に入れていられなかった。
「度々《たび/\》だけれども」野村は千鶴の利発らしい顔をじっと見つめながら、「前の晩、君が水を持って行った時に、重明さんは催眠剤を呑んだというが、むろん一回分だったろうね」
「はい、一度分でございました。一服だけ召し上って、もういゝからあっちへお出《いで》、おやすみと仰有《おっしゃ》いました」
「すると、もう一服残っていたね」
「はい」
「それで、翌日の朝部屋に行った時に、その残りの一服はどうなっていた?」
「覚えておりません」
千鶴は始めて気がついたように、ぎょッとしながら、
「本当にうっかりしておりました。御前様が床の中から半分身体を出して、両手を拡げて死んでいらっしゃいましたので、つい、その方に気を取られまして、お薬の方は少しも気がつきませんでした。どうなったのでございましょうか」
「御前様が死んでおられるのを発見した時に、君は、どうしたの?」
「御前さまが大へんですッといって大声を上げました。そしたら、直ぐに市ヶ谷さまが飛んでお出になりました――」
「なにッ、市ヶ谷さまだって」
野村は吃驚《びっくり》した。重武は市ヶ谷に住んでいたので、二川子爵家の雇人達は市ヶ谷さまと呼んでいたのだった。
千鶴は野村の剣幕が激しいので、呆気にとられながら、
「はい」
「だって、君は重武さんは暫く見えなかったといったじゃないか」
「それは前の日までの事のように伺いましたから。当日の朝九時頃に参られましたのでございます」
「九時頃に」
「はい、御前さまは未だお寝み中です、と申し上げましたら、格別急ぐ用でもないから、待っていようと仰有いましたので――」
「そうか。それで君は十時頃部屋へ様子を見に行ったのだね」
「はい、それもございましたけれども、いつも朝早く一度お眼覚めになります習慣でしたので、少し心配になりまして見に行きましたのでございます」
「重武さんが見に行けといったのではなかったんだね」
「はい、市ヶ谷さまは何とも仰有いませんでした」
「それで、君が大声を上げると真先に重武さんが飛んで来られたのだね」
「はい」
「それからどうした?」
「市ヶ谷さまが、之は大変だ、直ぐ警察へ電話を掛けろ。誰も触っちゃいかんぞ、と仰有いました」
「警察へ――ふん、医者を呼べとはいわれなかったか」
「はい、その時は仰有いませんでした。後に太田さんを呼べと仰有いましたけれども」
重武は何故重明が死んでいるのを見て、医師より先に警察を呼べといったか。秘密にする必要があるとはいえ、親しいものにも通知をしなかった点、又、真先に部屋に飛び込んだ点など、疑えばいくらでも疑える事ではないか。
仮りに重武が薬をスリ替えたのだとすると、彼は残りの一服をどうかしなければならないのだ。それには太田医院の薬局にもないような新しく発見された猛毒が這入っているのだから、到底太田医院の調剤の過ちという事には出来ないのだ。彼は恐らく残った一服の内容をどこかへ明けて終《しま》って、重明が呑んで終ったよ
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