訳でござります。
[#ここで字下げ終わり]
読み終って、野村は又もやドシンと頭を殴りつけられたような気がした。父の遺書を読んで以来、幾度か驚き、幾度か意外の感に打たれたが、数多い書類を読み進むほど、事件は益々奥深くなり、神秘性を増して、底止《ていし》する所を知らないのだ。
談話速記には尽《こと/″\》く仮名が使ってあるが、それが二川子爵家の出来事である事は、関係者にとっては余りにも明白だ。三十年も以前の事だと思って、不用意に述べられた談話は、どれだけ重明に打撃を与えたか、想像に余りあることだ。犯罪実話の語手《かたりて》の無責任な態度には、野村は少なからぬ義憤を感じた。
が、重武が唾棄《だき》すべき詐欺漢《イムポースター》であるとは! 無論確証はない。然し、野村には、そうであることが確かに感ぜられるのだ。さて、この談話速記によって、二川重明はどんな事を感じ、どんな事をしようとしたゞろうか。野村は第三と番号のつけてある、重明の遺書を取上げた。
[#ここから2字下げ]
野村君、順序通り読んで呉れたと思う。そうして、君はまさか速記の切抜が、僕の家に関係した事であることを否定しはしまい。実はこの速記を手に入れた時に、直ぐ君に相談しようと思ったけれども、君が頭から二川家に無関係であることを主張しやしないかと思って止めたのだ。僕はむろん速記を読み終るのと同時に、この談話の語手である刑事を探した。所が、なんと皮肉に出来ているではないか、彼は僕が探し当てた数日前に、脳溢血で死んでいるのだ! 最早僕にはこの話について、確めるべき人間は一人も残されていないのだ!
僕が両親の実子でないこと、お清さんと呼んでいた乳母が実母であった事は、それほど僕を驚かさなかった。やっぱりそうだったかと、深い溜息をついただけだった。
僕は物心のついた頃から、この疑惑に悩まされ続けていたのだ。それは、そういう事を経験した人でなければ、到底想像する事の出来ない苦しみだと思う。父母はどんなにか僕を熱愛して呉れたか。父は早く死んだけれども、母は長く僕を愛し慈《いつくし》んで呉れた。にも係らず、僕は絶えず他に父母を求めているのだ。この事については、最早長くは書くまい。
叔父重武に関する秘密は、文字通り僕を驚倒させた。本当に僕は一時気が遠くなったほどだった。
僕は以前から叔父に――といっても叔父その人ではなく、その立場に大へん同情していたのだ。何故なら、彼は妾腹に生れたばかりに、不愉快な生活を余儀なくされて――殊に十一二の年から十八までの二川家の生活は、どんなにか味気ないものだったろうと思う。父に別れてからは周囲は他人ばかりで、唯一の肉親である兄が却って白眼《はくがん》で見るのだ。只一人の同情者も持たない彼が、童心を苛《さい》なまれ、蝕ばまれて行った事がはっきり分るのだ。
だが、僕は叔父その人には同情が持てなかった。何故なら彼は余りに俗的で、厚顔で金銭慾の強い、凡《およ》そ僕とは対蹠的な人間だったからだった。もし、彼がもっと典雅で、慎しみ深くて、無慾|恬淡《てんたん》だったら、僕は夙《と》うに彼に二川家を譲っていたかも知れぬ。何故なら彼こそ、二川家の正当の相続人なのだ。疑惑に止っていた間でも、僕はそう思っていたのだから、今や僕が二川家に対して、その権利を抛棄すべきであることが、はっきりした場合、一層そうしなければならない筈なのだ。
けれども、僕はどうしても叔父が好きになれないのだ。そして、なんと、彼は汚らわしい詐欺漢《イムポースター》だというのではないか。むろん、それは確実ではない――けれども、僕はそれが確実のように思えてならないのだ。わが二川家の血統のうちに、あんな俗物が、あんな厚顔強慾の人間が出そうな筈はないと思うのだ。
と同時に、僕は三十年前の相好と少しも変らないで、大雪渓の下に彫像のように眠っているであろう所の叔父重武が、無限に可憐《いと》しく、いじらしくなって来た!
もし、今の叔父が偽者《イムポースター》であるならば、真の叔父は何という数奇な可憐な運命を背負った事であろう。刑事某の談話の如く、叔父は純情の持主だったのだ! 恋を語り、山を愛したこと、みな彼の純情のさせた事ではないか。彼はわが二川家の相続人として、十分の資格を備えていたのだ。それが童心を傷けられ、家を出て放浪の旅に登り、漸《ようや》く傷けられた胸を少女の捧ぐる愛と、高山の霊気に癒した時に、彼は恐るべき兇漢の為に、死の深淵に突き落されたのだ!
が、然し、野村君、果して今の叔父は偽者《イムポースター》だろうか。僕は母以下が僕の素性の暴露するのを恐れて、叔父に関する事件をうやむやに葬り去った事を、心から憎む、鶯《うぐいす》は時鳥《ほととぎす》の卵を育てゝ孵《か》えすというが、その事は彼
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