出した時に、突然、関西方面を放浪していた叔父の重武が上京して来た。そうして、彼は先ず未亡人朝子に難題を吹きかけたらしい。それが拒絶されると、彼は矢継早やに地方裁判所や区裁判所や戸籍役場に訴えを起したのだった。
彼は重明の出生届を虚偽の届出であるとして、朝子に妊娠の能力なき事、妊娠分娩を証明すべきものなきこと、重明の真の父母は、高本安蔵とお清なること、等々を書並べて、区裁判所に、二川家の戸籍法違反の告発をなし、一方戸籍役場には、法律上許すべからざる記載として、戸籍簿の訂正を申請した。他方には又、地方裁判所に、重明の相続無効の訴訟を提起したのだった。
野村の父は、重行の死後の依頼を余りにも早く果さなければならなかったのだった。
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重行の告白書を読み終った時に、余りの意外さに、暫くは唖然とした。彼は巧みに僕を欺いていたのだ。僕は鳥渡《ちょっと》立腹した。然し、直ぐに彼に同情した。善悪は兎に角、そうしなければならなかった彼の心情を憐む他はないのだ。
然し、余りにも早く彼の恐れていたものが来たのには、之亦《これまた》驚くの他はなかった。
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当時の事を野村の父はこう書いていた。
野村の父が何よりも苦心したのは、この事を絶対秘密裏に処理することだった。それがどんなにむずかしい事であったろうかは、察するに余りあることだ、そうして彼はそれに十分成功したらしい。今から二十四五年以前の事で、新聞紙も今ほど機敏ではなかったろうが、一方にはこんな事を喜んで書き立てる赤新聞もあったろうに、嗅ぎつけられもせず、よし嗅ぎつけられたとしても、それを紙上に出させなかったのは、確かに特筆すべき野村の父の功績といっていゝ、全くこの事は少しも世間に洩れないで済んだらしいのだ。
一方には又、お清の文字通りの献身的な努力もあったらしい。彼女は重武と刺違って死のうとさえいい、又実行しかねない勢だった。この事を野村の父は「真に烈女というべし」といって感嘆している。今日の言葉でいえば所謂母性愛の発露であろうが、二川家の存亡に関することでもあり、朝子未亡人には重大な影響のあることでもあり、お清は猛然奮い起《た》ったものらしい。
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僕は何とかして重武の訴訟その他の抗告申請を取消させようと試みた。然し、彼は頑として応じない。彼にして見れば、この事にして成功せんか、一躍子爵の栄誉と巨万の富を得る事も不可能ではないのだから、強腰《つよごし》たらざるを得ないのだ。それに重行には圧迫された恨みも手伝っているし、生中《なまなか》な事でウンといわないのも無理もないのだ。
僕の最も恐れたのは、事が長びくと外部に洩れる可能性が大きくなることだった。幸いに重武は単独で秘密を察したので、彼以外には未だ知るものはないのだ。
僕はもう万策尽きた。到底取下げさせるという事は出来ないから、重武も別に動かすべからざる証拠を持っている訳ではなし、この上は最早法廷で争って、勝つより仕方がないとまで腹を決めた、その時に、この問題では誰よりも必死になっていたお清さんが、「|以[#レ]毒《どくをもって》|制[#レ]毒《どくをせいす》」の方法を考えついたのだった。つまり、重武はあゝいう生活をしていたのだから、きっと何か悪いことをしているに違いない。それを探り出して、首の根っ子を押えて、交換条件にして、取下げさせようというのだ。
この方法は紳士的でない。僕の主義として、賛成出来ないのだが、背に腹は変えられぬ。殊に相手が非紳士的なのだから、止むを得ない所もあるのだ。そこで、僕はとうとう同意して、至急に重武の旧悪を探偵させる事にした。
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野村の父は遂いに窮余の策として、お清の提案たる「以[#レ]毒制[#レ]毒」の方法に同意したのだ。
二川重武は多く関西方面にいたから、大阪の有名な私立探偵社の社長砂山二郎が、その為に選ばれることになった。
所がこの謀計《はかりごと》は正に図に当ったらしいのだ。というのは、それから間もなく、重武はあっさりすぐこの訴訟抗告を取下げているのだ。検事の方でも、元々一家内の事だし、原告側にも確証はない、裁判にでもなると大へん面倒な事なので、原告が取下げたのを幸いに、不問にしたらしいのだ。
書類の中に、砂山秘密探偵社の大きな封筒があって、「二川重武の調査報告」と書かれていたので、野村はやゝ胸をときめかしながら、それを開けたが、失望した事には中味は空だった。父の日記の方を見ると、
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重武に関する調査報告書は本日重武に交付せり。
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と書いてあった。思うに重武は交換条件の一つとして、その調査書の原本も複製も残らず、彼の手に収める事にしたのだろ
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